後遺症の日々

ベンゾジアゼピン大量服用から大幅減薬をして3年。
今や遷延性離脱症候群、即ち「後遺症」の日々を送っています。

ブログを毎日更新しツイッターもやり、家事もこなせているから元気ではないか?

と思われるかもしれませんが、
そうではなく、痛みに慣れたのです。

次に筋肉減少が一息つき、クッションのない体で動くことに慣れそれほど苦にならなくなったのです。

しかし違和感が続くのは辛いし、食事を本当においしいと思って食べることができるのは、

年に数回です。

ベンゾを減らしても、筋肉が減っていく過程が一番怖くて、精神的に参ります。

去年は心理的に危ない状態でした。精神崩壊のギリギリのところで市に福祉ヘルパーを要請。

身の回りの家事支援から安心を得て少しずつ正気を取り戻すことができました。

自力でなどうしようもできない時福祉の力に助けられました

クスリより効果絶大です。

ベンゾ離脱症を「障害」と認め福祉を受けることが、

大局的にみて正しい判断

いったんかけ間違えたボタンを人の手を借りてもう一度かけ直すのです。

身も心も裸になって虚心坦懐に生きる。こうした開き直りが苦しみの中で力と希望を見出す
転機になるのです。

私は長い減薬生活から多くを学びました。

長期服用者は、年齢と家族の問題、そして収入の問題が出てきて途方に暮れ、中には自ら命を絶つ選択を
なさる方も多いのです。

しかしあきらめないでください。多少の問題はあろうとも、社会福祉制度を活用することで、
自分の潜在能力が目覚めます。

完全に治らないとはいえ、苦痛を緩和し、意識が明瞭となり、活発な日常を取りもづスことができます。

胃痛と筋肉減少というハンディを背負いながらですが・・・

同時に家族の問題が浮き彫りになり、自分の立ち位置、隠れた才能を福祉ヘルパーさん達との対話の中で
見出すこともできます。

人との対話、食事。こうしたことで社会的に基礎的な力を取り戻すことができるのです。

ベンゾジアゼピン向精神薬の重度依存に陥ってしまった方々は往々にして家族に問題を抱えています。

減断薬で家族から見限られた人もいるでしょう。しかしそこは福祉といいう新しい世界への門出でもあります。

貧困ビジネス、障害者ビジネスなどのリスクと福祉は表裏一体ですが、頼れるところが福祉しかないのです。

この現実を見つめて少しでも有利な時期、体力と頭脳が働く時に福祉を導入しQOLを高めてもらいたいです。

これは私の一人での長期ベンゾジアゼピン減断薬から導き出した答えです。

一人では無理です。家族又は福祉の力を借りて向精神薬害を克服しましょう。

人間の力は計り知れないものがあります。

痛み、違和感、耐えがたいですが、日常を少しずつ取り戻すことは人間に備わっています。

健康な頃の自分となるべく比べないようにする。

悲しくなればヘルパーさんに話すことで緩和する。

こうした日々の積み重ねで思いもよらぬアイデアや力が湧いてきます。

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そして行動に移せば、人生の新しい展開が開けるのでです。

「後遺症の回復は8割程度」

向精神薬ベンゾジアゼピンの断薬に伴う後遺症の回復は8割程度だそうです。
服用前の機能を求めても完全には戻りません。

10年以上の長期服用後の遷延性離脱ですと老化の要素も入り
あらゆる面で不利になります。

ですので少しでも若い内に向精神薬を断薬し心身共に健全な日々を送ってもらいたいです。

原疾患など実はありません。ほとんどはただの不調、肩こり、未熟さからくる怒りやすさ、少し社会訓練をしたり
良き師に巡り合えば解決することです。

また経済状況や社会的評価が高まることでそうした向精神薬とは無縁の生活を送れます。

しかし一旦、肩こり緩和の目的や不眠治療と称してベンゾをのむことは依存の原因になります。

あらゆる不幸や不和を招く原因になります。

問題なのは、クスリに原因がることを本人が気づかないことです。

クスリなんてのんでも良くなりません。栄養療法や人間関係を見つめなおすことで
ほとんどの精神疾患と呼ばれるものは治ります。

依存が重症化して後遺症の域に達しても、食事と会話が整えば少しずつ本来の力を取り戻すように
なってきます。

長い苦痛の日々を耐えなければなりません。

寒い冬が一番つらいです。

今6月で暖かくなってきて、私も少し余裕が出てきましたが、これから秋冬になると症状が悪化しないか?ふと不安に
思うことあります。

後遺症(遷延性離脱)を起こしてしまったからには、一筋縄で生きることは困難になりました。

それでも自らの力を信じて前を向くしかありません。

失った筋肉は戻らないでしょう。

しかしほんの少しでも稼働している神経と筋肉があれば時間とともに本来の機能の半分くらいは取り戻すことができると
思います。

向精神薬は断薬しても後遺症が残る罪深いものなのです。

こんなものをはじめから飲まない。のんでもすぐ辞める。

こうしたことを私は訴え続けたいです。

「自宅で閑居」

後遺症の私は閑居の身。

蟄居謹慎処分にあったような気分です。

何も社会的に悪いことはしていない。
ただ脳に作用するクスリの後遺症で筋肉が減り、内臓がチクチクするという状態が慢性化しただけなのです。

一種の神経伝達障害です。

これに精神疾患名のレッテルを貼られ「障害者」扱いなのですから、いかに日本の医療が茶番であるか
お分かりだと思います。

今は福祉のためあえて精神医療システムを活用して再起をはかっていますが、

「全ては茶番」

もし18年前、2000年当時にレキソタンをのまなれば私の人生は今のような苦しみもなく、
日常を楽しんでいたでしょう。
両親も喜ばせてあげることができたはず。

ベンゾジアゼピンの依存ですべてを失いました。

悲しいことです。

行動が制限され閑居せざるを得ない無念とともに、ほんの少し回復している内臓機能、
そして意識と頭脳は明瞭になっている。

まだまだこのクスリに負けてはならない気概が出てきました。

長丁場、少しずつ困難をクリアしてきたいです。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性 2015年(40代の前半)に過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 体力の回復で何とかなると楽観 気楽にいきましょう