ボロボロの体で悟ったこと

最近疲れています

身も心もクタクタです。1月13日にレキソタンを再服用してかた長い時で1日20時間近く掃除と断捨離を
10日以上にわたって実行しました。
鎮静効果のあるレキソタンを多い時で1日15mg(1日3回)服用したことで
筋肉がスカスカでもイソイソと動き回りました。まるでベンゾ離脱症状のアカシジアの症状。

とにかくじっと座っていられませんでした。

異常行動とはいえ、部屋を大掃除し不要物を断捨離することで部屋はきれいになり、
頭の整理もつきました。

この勢いで個人事業の開業届を出しまし、銀行で事業用口座の開設。
さらに警察で古物許可の申請(実質的に変更申請)を行いました。

街中を1時間歩くなど、健常者でも辛いことを、ほとんど飲まず食わずでやりました。
これは気合からではありません。神経伝達の異常から疲労を心地よく感じない感覚に
全身がとらわれていたからです。

いわゆるテンションが高めだったのです。

正月の元旦から10日ごろまで希死念慮にとらわれていたのが、ウソのようです。

もしレキソタンの薬効なら、ベンゾではレキソタンはそれほど否定すべきではないと考えています。

はじめからのまないか、飲んでも数年の内なら楽に断薬できるので、そうするべきですが、10年以上、
私の場合19年ものんでいれば下手に断薬するよりレキソタンとは付き合っていったほうが無難です。

もちろん耐性がつかないように断薬期間も大切です。

私は結果的に耐性がつかない断薬期間を設けて再服用後のレキソタンの薬効を継続させています。

まだ効くということが助けになりました。しかしこれに依存するとすぐに耐性がつきます。

そうなると常用量依存となり、何をのんでも効かない状態になります。

そこでクスリを増量されることになり、重度の精神疾患となるのです。

これだけは避けたい、しかしレキソタンが必要である。耐性に気をつけながらクスリをのまなければならないジレンマ・・

薬の奴隷です。希死念慮を無くし、日常生活を送れるレベルになっても、クスリが必要というのでは真の幸福とはいえません。
QOLを高めるというフレーズはあくまで誤魔化しの論理です。

苦しい時は一時的に誤魔化してでも生活を維持させることが大切ですが、本質的に断薬しなければ解決しません。

筋肉減少の状態で筋肉のコワバリ、突っ張りがある。

これはとても辛いことです。それでもある程度は動けるので不思議です。ただし以前のような肉体感覚=クッション機能はありません。

とても不自然で辛い毎日を送らなければなりません。

唯一の楽しみの食事も機能性ディスペプシア(FD)で楽しめません。

人間の3大欲求が低下もしくは皆無の状態ですから、生ける屍の状態です。

「後悔」

こうした中で去来するのは過去。もう後戻りできませんが、今になって気づくことが多いのです。

それは自分が絶対正しいと信じていた価値観や考えが実は間違いであったということです。

たとえば、自分と違う意見は外国勢力が支配しているからだという偏見に凝り固まっていることです。

多くの人がそういう考えを最近抱いているようですが、それは世間知らず。

仮に知っていたとしても世間を理解していないのです。

人間の心の機微、喜怒哀楽に人種や民族は関係ありません。

何らかの組織的な動きがない限り、あまりそういう考えにとらわれない方が無難です。

仮にそういう考えにとらわれていてもどこかで「妥協」することが大切です。

信念を貫くことは大切ですが、それが頑固となり偏狭となれば、危険です。

その時は正しいと信じ込んでいた考えは後になって大間違いであったと気づかされます。

私の場合はクスリで体がボロボロになった状態でいろいろ気づかされました。

はじめからどこかでバランスとをとる、妥協する感覚が必要だったのです。

謙虚であることも大切です。これは媚びへつらったり迎合することではありません。

つねに一歩引いて考えるクセをつけます。

素直に「ありがとうございます」と言えるようにするのです。

間違っても「俺がやってやったのだから、感謝する必要などない」など間違った考えを抱かないことです。

夜郎自大にならないことです。

かしかしそういう性格がすぐに変わるわけがありません。

この辺はやはり痛みを知るか、自己修養しかないようです。

ただそうしたことを知識として知っているだけではダメです。

働けばいい? これも一つ間違えば夜郎自大になり自分を過大評価し、世間を過小評価するという間違った性根を持つことになります。
これはどれだけ苦労しても陥る危険があります。

常に自分を正しく見つめ、研鑽を積む。適度な遊びを人間との交流の中でする。

こうしたことが人生を成功に導くのです。若い人ほど可能性に満ちていますから、まず自らの慢心を制することから始めるべきです。

たとえ自分が正論で世間が間違っていても、自分を夜郎自大に過大評価したり人を侮蔑するような心の習慣を持たないようにすべきです。

これはいわゆる道徳的な考えですが、真理です。

私が失敗した原因は道徳的に間違っていたからです。薬害は別として、自分の中の原因があるとすれば、
それは独善と慢心にあります。

そのくせ自分だけが被害者という観念に陥るのがこうした独善と慢心に支配された心の持ち主の特徴です。

誇りと慢心は違います。誇りは持つべきですが、慢心、傲慢になってはいけません。

せっかくのチャンスを失います。クスリで失敗した人生がより悲惨になります。

独善的になりがちな闘病生活。もともと独善的だったのです。

少しでも薬害を緩和するにはこうした独善は捨てて、捨てることができなくても制することで、
生活の可能性が広がります。

所詮人間です。大差ありません。自分だけが絶対正しいことはないのです。(反対に悪いこともないのです)

素直になること。自分を見つめなおすこと。ボロボロになった体を貧窮化がすすむ生活で

悟りました。

何とか人生をやり直したいものです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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ABOUTこの記事をかいた人

近畿在住。単身男性。 向精神薬害で毎日闘病。 精神安定剤、ベンゾゾジアゼピン依存・離脱・後遺症の療養記録です。 レキソタン(ブロマゼパム)、セルシン(ジアゼパム)の2種類を2007年からカクテル処方され、8年長期服用。2015年から大幅な減断薬。その後2015年暮れから副作用・後遺症に陥り現在も療養中です。さらに家族との不仲で、経済的に窮しています。2017年から「障がい福祉サービス」を受給。訪問介護、訪問鍼灸施術受けています。漢方生薬も2019年5月下旬から開始。東洋医学にかけています。 診断は「抑うつ」障害福祉の現場に潜伏中。ブログで情報発信しています!