「喪失感」の克服

5月初旬 ゴールデンウィークがあける頃は

季節の変わり目で雨が降ったりやんだり
暖かくなったり寒くなったり外的変化が激しいです

気候にさまざまな変化があるとテンションが上がったり下がったり
心に影響を及ぼします

同じように体の変化も心に変化を及ぼします

最近の体の変化は、ベンゾ薬の離脱で硬直し歪みきった体が
いよいよ治ってきたことです

そうするとそれまで気づかなかった無意識の領域の
過去の記憶や自分の性格が意識の領域に出てきて戸惑います

一番こたえるのは「喪失感」が意識の表層に出てくることです

健康になればなるほど楽になり体が動かしやすくなり
精神も安定し幸福一直線になる思いがちですが
実はそうではなく「これだけの健康を自分は何年も何十年も失った」という
喪失感が襲ってきます

「本来健康ならあれもできたこれもできた しかし自分はその中の一つも達していない」

「もう遅いなにもかも手遅れだ」

など気後れと劣等感がじわじわと心の奥から沸き起こってくるのです

それも唐突にしつこく

夜眠る前や朝起きた時など 意識する心が低下し
潜在意識が活発に働きだした時など特にそうです

まるでその時の考えこそ本当の考えと言わんばかりに
病気の時の考えを偽物だと思い
健康を取り戻した今こそ本当の人生を取り戻そうという
焦りが出てきます

しかしこの焦りは決していい結果を生みません
さらなる悲劇を生む危険さえあります

「ここで焦ってはならない」と自分に言い聞かせる

そして潜在意識から出てくる喪失感と対決しなければなりません

 

「喪失感」の克服法

まず「喪失感」を客観的にみる

その存在を認め対決することを誓う

さらに

「何も失っていない」と自己暗示をかける

実際に何も失っていないのです

ずっと生きてきた 命が継続してきた

それだけで実りある人生なのです

社会的になくしたものは多いかもしれません

しかし「社会」など人間の生み出した空想です

世の中の常識など時代によって変化します

何の普遍性もありませんからそんなものに自分の存在理由すべてを
委ねるのは自らを苦しめる行為

社会や常識など虚妄で実はどうでもいいのです

宇宙の大きさに比べれば人間などちっぽけな存在

この世に生まれてきただけでも奇跡

一秒一秒に重みを感じて生きていけばそれだけで立派です

自分の過去や社会的なことに必要以上にとらわれなく生きていきたいです

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性 私大経済学部卒業  若いころから病気がち アルバイトや自営の仕事を転々とする 現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度利用者 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と 過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 薬害を受けてもないことにされるという資本主義社会の 矛盾に気づき社会福祉を受けることでマルクスの資本主義分析に共鳴