過度の向精神薬服用で失った自然の摂理を取り戻したい

新聞もテレビも見ず、インターネットのニュースもほとんどチェックせず、
ただ胃の周りの違和感と痛みに耐えながら日々を過ごしています。

情報が何もないまま、ただ歳月が流れていきます。
週に数回のヘルパーさんや看護師さんからの情報が生きた外部からの情報です。

情報に接した後は、私よりかなり年下の方達ばかりなので、月日の移ろいを感じます。

胸に去来する思いはただ「後悔」「自責の念」。自分の愚かさを嘆いています。

こうした感情去来をを時折ベンゾのせいにする自分がいますが、
重要な失敗は自分の甘えや勘違いと
いった性格が原因だと思います。

しかし、だからといってベンゾジアゼピンに全く原因がないわけでもなく、
向精神薬というのは、悲しみしかもたらさない物質だと思いました。

ベンゾジアゼピン向精神薬は、
脳に作用し原因結果のわからない症状をひき起こすので、すべて個人の性格のせいにできます。

なので自分を責めなくて良いという免罪符を与えられるですが、
それを排してもよく分からない状態をもたらすのが、向精神薬の正体だと感じています。

精神的症状だけでなく、肉体的症状も出るので、その悲惨さは言語に絶するものがあります。

「クスリをのむ前の自分に戻りたい」と突発的に断薬をする自分がいます。
昨日はのでいません。

断薬と再服用の繰り返しで心身共に不安定です。
福祉の助けを得るにしても、そこでまたトラブルや面倒なことも多く、心の底から
安息できる日は数えるばかりです。

それにしても、障害者になった今でも、男性は何かと厳しさを要求されます。実質的に「虐待」
といえることでも、「克服すべき課題」とされます。

障害者の私でさえこうですから、健常者の負担はもっと重いでしょう。

そもそも健康に生まれた私が、後天的に障害を追う日本社会とは何なのでしょうか?

私の性格や家庭環境もあります。しかしこうした不条理なことの原因は社会全般の問題ではないでしょうか?

ヘルパーさんや看護師さんなど女性達を見ていると、
今の日本はまだ男性に厳しすぎ、これまで女性に
甘すぎたではないでしょうか?

これはマスコミよってもたらされた風潮なのでしょうが、そのせいで、女性達は自然を見失い、
情緒不安な方が多いと思います。

これは既婚未婚を問わずに言える観察事項です。

どちらかと言えば、未婚女性の方が情緒不安で何か勘違いしているように思えますが、
こればかりは断言するとお叱りを受けそうですが、
やはり女性は既婚の方のほうが安定感抜群で
こちらの負担を軽くしてくれます。

福祉職だから当然とはいえ、男女の原理はどこまでも付きまとい、そこに「女性の自然である母性本能が
どこまで働くか?」が福祉サービスの品質が問われると個人的な感想を抱きました。

今の状態が「もし薬をのむ前だったら?」とさえ思います。

つまり一男性の偏見ですが、女性の思慮が社会を支えているのに、

私の同世代、、特に団塊ジュニア世代は、病的なほどの女性中心わがままで
マスコミがそれを煽ってきた結果、病弱男性と情緒不安な未婚、晩婚女性の増加を
増やしたのではないでしょうか?

私は断言できません。常に疑問符ですが、女性が女性らしくなっていれば、
今の女性は救われたとヘルパーさんや看護師さん達をみて思いました。

特に今のような少子高齢化と経済不況の中において、その厳しさを彼女たちから
観察することができます。

過酷な言い方ですが、女性は未婚、独身のままだと情緒不安になり、
障害福祉の現場でもトラブルをもたらします。
男性障害者の私がその調整をするという本末転倒なこともあります。

やはり女性が圧倒的に自然を失った結果といえます。

これは何も「男性は」「女性は」という意味ではありません。

「自然」をメインテーマにして考えた結果です。

男性である私はベンゾジアゼピン向精神薬で自然を
失っていました(今も一部失っています)。
四季を感じる感性、自然を愛でる風情をベンゾジアゼピン向精神薬で
失っていました。

ホルモンのバランスも乱れました。

女性も薬やマスコミが意図的につくり出した風潮で本来の女性原理を失っているように
見えます。

つまり自然を失っているのです。

これは明らかにマスメディアの風潮に流された形跡のあるヘルパーさんや
看護師さんの姿をそこにみるからです。(精神薬をのんでいなくても、)

原因結果はともかく福祉の現場でそれを確認できるのですから、今の状態は私にとって
本当に不思議な状態で、自分と同時代を生きた女性達の姿から、

また考えさせられること多いです。

「女性の自立」といいながらもやはり自然には適わないのだなぁ」と生意気にも観察させてもらっています。

ベンゾジアゼピン向精神薬、マスコミ風潮どれも意図的につくられた現象だと思います。

どれも男性と女性の自然を意図的に狂わせた作用があると考え始めています。

そこに資本主義の冷酷さが襲ってきています。これだけはもうどうしようもない。

「時間」と「資本」という二つの大きな原理の前に為す術なく、衰弱した体を立て直さなければならない
という「課題」に取り組まざるを得ないのです。

福祉というとマルクス主義的、左翼的思想が根底にありますが、その中で、日本の伝統や文化、
本来の自然を取り戻すことの大切さに気づき、そのような課題に取り組める基盤になっている
今の状態。

厳しいですが、面白い一面もあります。

体の回復だけは未知数で何とも言えませんが、精神情緒の安定は薬抜きで、達成できるという
確信につながりつつあります。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性 2015年(40代の前半)に過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 体力の回復で何とかなると楽観 気楽にいきましょう