ヘルパー女性の優れた知性

冷え込むと筋減少の胸回りが気になります。
これで歩けて風呂に入り、トイレに行けるのだから不思議です。

頑張れば外出もできます。しかしその後に疲労と興奮の入り交じった感覚になります。

薄くなった胸回りで息が浅くなるので、家の中の行動でも全速で走ったような気分になります。

こうした症状を看護師に伝えていたのですが、些細なことで争い。本当に些細なことです。
ICレコーダーを聴きなおしてわかるのですが、これの一体どこが悪いのか?

私を敵視している人は私が正しくてもでっち上げてでも悪と解釈、認定するでしょう。しかし
普通の感覚を持った主婦、世間の方なら、私にはあまり問題がなく、むしろ看護師の発言を疑います。

主婦のヘルパーの方達からは普通に「看護師がおかしい」と言われました。

私の前の社交辞令ではありません。本当に驚いておられました。

看護師の件は会議で相談することにして、本稿でもこれ以上立ち入りませんが、

辛い療養生活の中で支えになってくれるヘルパー女性の方達の知的で才気あふれる発言と
洞察力に女性とは母になると賢く、愚かな男を励まし、悪い女を寄せ付けない力を持っていると感じました。

こういう女性に共通しているのは特別な高等教育を受けていないこと。

それでも物事の本質を一瞬にして見抜き、信念を貫く力を持っているのです。

論理的な能力より超越的な力があります。知性があります。それは勉強ができるとか読書で培われる知識や知性ではなく、
第六感的な知性です。

薬害で体がボロボロになり心身共に疲れ絶望の中でも生きていけるのは、こうした女性ヘルパーの持つ

超越的な力、知性のお蔭なのです。

昔の人はそれを霊能力と呼んだのでしょう。
天照大神も女性の神であることから古来の日本人は女性の持つ不思議な力を畏れ崇めてきたからに違いありません。

男のリーダーがダメな時は女性のリーダーが必要なのもわかります。

これまでわたしは一面的な女性像しか見ていませんでしたが、ヘルパー女性の支援を受けるにつれ、
自分の不見識と甘え、独善がわかりました。怒られることなく、注意されることなく、
自分の間違い、不見識がわかったのです。

こういう支えあい、互いに尊敬しあうことが本来の人間のあり方、世の中のあり方なのでしょう。

私は障害者になり福祉サービスを受けてそうした感覚を持つようになりました。

看護師の件は残念ですが、あるヘルパーさんの言葉を借りれば「看護師は女性ではなく男性」とのことです。

むろんすべての看護師がそうだと言い切りませんが、おそらく普通の女性ではないのです。
そこがまた世間の悪評につながるのでしょう。

私も当面関わりたくありません。いくら激務をこなしている看護師の実像と心理がわかったとしても、
こちらも病んでいいる身です。コミュニケーション能力や対人スキルに欠点、障害を抱えているみです。

障がい者にコミュニケーション能力と対人スキルを求めるのは、骨折した人にいきなりマラソンをさせるようなものです。

そのような無理を間接的に出も暗示的でも求めるのはサディストです。

そういう人は心が貧しいのです。

ヘルパーさんの感覚が正しいのです。あまり考えず、日ぼを過ごす、それだけでいいのです。

普通の主婦のヘルパー女性の方は自然の力をよく理解しておられ、自然に逆らわず、うまく調和する知恵を
持っておられるのです。

小賢しい心理学や精神医療のテクニックなど持ちだしません。

政治思想や哲学もいりません。そのようなものとは無縁の女性ヘルパーの知恵にこそ

傷ついた心と魂を癒し、体をも癒す力が潜んでいるのです。

言葉では表現しがたい力があるのです。

当然彼女たちも仕事ですからドライな一面はあります。存在自体がドライでしょう。

しかし利用者の側にとって力と癒やしになっていることには間違いありません。

そこには近代知性が忘れ去った、太古の知性、自然の無限の力があるのです。

こうした女性達を蔑ろにするようではダメです。

彼女たちと話すたびに自分の世間知らず、傲慢、偏狭な感覚に気づかされます。
同時に自分が卑下していた別の才能を知らせてくれます。

そして自分の進むべき道がはっきり、シンプルに見えてくるのです。

つまり私は彼女たちに育てられているのです。子供です。いい意味での子供なのです。

本当に賢い女性に見守られると子供は自由に健康に育つように
大人も優れた女性に見守られることで、健全な心を取り戻すのです。

個人事業の開業もその現れの一つです。

もしヘルパーの家事支援がなければ、セルフネグレクトが酷いまま措置入院だったに違いありません。

そういう意味で福祉ヘルプは私の助けになりました。そして日本という風土に生きていた
「良妻賢母」的な女性の存在に助けられました。

そして教えられ続けています。

自分の回りにはこうした家庭的な良妻賢母的な女性の存在が必要になんだと
悟りました。

反対に看護師のような女性の存在は私にはあまり益が無い存在だとわかりました。 例の看護師の件、前回の発言が原因ではありません。それ以前に言い過ぎたかもしれません。しかし同じことをヘルパーにも言いました。問題なかったです。気丈に聴いてくれたのかもしれません。私は 心の病ですが、今後発言に気をつけます。しかし被害妄想、フラッシュバックで発言することが考えられます。トラウマという側面も見逃せません。発言の是非より「なぜそんなことをいうのか?」 原因を究明することこそ、真の精神医療ではないでしょうか?

なぜ男性ばかりに健常を求めるのか?障害福祉の現場で。そして例の看護師はテレビで男を貶める発言を模倣しました。完全に男を馬鹿にするマスコミに洗脳されています。こういう人は本来、医療福祉の現場にいてはならないのです。

こういう経緯を考えれば、下手に看護教育を受けた女性よりそうでない女性のほうが圧倒的に人間的に優れています。


このような比較するとお叱り受けるかもしれませんが、現代の日本では看護師で無くても後者の女性が多いように思えるので、

ヘルパー的な女性の存在が愚かな男を再教育するのに役立つということを特筆しておきます。

ヘルパーは励みにもなり教えられる存在。ただただ敬意を持つのです。いつか別れの時が来るでしょう。もしかすると変節があるかもしれません。しかし今信じられ、頼りにしているのはヘルパー女性なのです。人生を変える力を授けてくれました。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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ABOUTこの記事をかいた人

近畿在住。男性。 向精神の薬害で闘病中。 原因薬剤は、精神安定剤のベンゾゾジアゼピンです。 ベンゾ離脱後にさらに悪化しましたが2019年7月3から断薬。 鍼灸治療が奏功し改善しています。 薬はのんでいません。 当ブログは療養記録です。 2020年2月料理日記はじめました。 ベンゾとあまり関係ないようですが、 「医食同源」の立場から砂糖や添加物を除いた料理記事を中心に 記載します。 (ベンゾ服薬歴) 2000年 レキソタンからベンゾ開始。 以降ベンゾ系の睡眠薬を服用。 2007年レキソタン(ブロマゼパム)、セルシン(ジアゼパム)の2種類を カクテル処方され、2015年まで8年長期服用。 2015年から大幅な減断薬開始。 猛烈な胃痛と痩せに襲われ 筋萎縮の後遺症に陥り現在も療養中です。 長期療養生活による失業状態で障害基礎年金が主な収入源です。 経済的に窮しています。 2017年から「障がい福祉サービス」の訪問介護を受けています。 2019年から訪問の鍼灸施術マッサージを受けています。 診断は「抑うつ」。 現在ベンゾ薬害に関する記事はたまにしか書いていません。