筋肉の委縮と言っても信用されず

筋肉の委縮と言っても信用されず、仮に信用されたからといって
それで自分の症状が治るわけではない。
胸に手を当てると薄い紙のような感覚。

生きている現実を薄くなった筋肉で知らされる辛さ。

ベンゾジゼピン系精神安定剤の破壊作用なら、何と残酷な作用なのだろう、
治る見込みはないのか?

下山日記さんはよく克明に記録してくれました。

自分の思いと症状が他の方によってなされていることの安堵感。
自分では到底表現仕切れません。

12月に入り寒さが増してくるとこの筋肉の委縮とこれまでの思いが複雑に交差して
絡み合ってくるのです。

まだ昨年は寿司をひいたりある程度は食を楽しめました。
今年はそれが無い。

レキソタンを11月6日から1か月断薬した状態ですが、痩せが一気に進行し
訪問ヘルパーさんや看護師さんからも指摘されるほどです。

ここで説明をしても冒頭の通り信じてもらえないのです。
これが幸か不幸かわかりませんが、筋肉萎縮の現実の恐怖の前に
為すすべなく誰かの理解と支援をひたすら求め続けるのです。

筋肉が萎縮すると運動も食事も以前ほど活力が無くなり、
ただ衰亡していく感覚に襲われるのです。
寒さ」がそれに加味されるのです。

そこにまたお金の問題が襲いかかります。

なぜ私がこんな目にあわなければならないのか?

弱肉強食とはいえ、自然の動物界でも自分に足りる獲物をとれば無駄な殺生はしません。
しかし日本人は自らの歪んだ欲望をもとに向精神薬を製造し販売、処方の名の元、患者に再販売するのです。

無益な殺生を医者はやっているということなのです。

科学でもない、本来の宗教でもない、狂気の欲望を製薬会社と医者はやっているのです。
そこからさらに政治家へ献金がいく。

よく日本のいことを主張する人たちの本性はただの欲ボケなのです。

これならまだ彼らが批判すr昔の政治家や産業人たちのほうがマシだったのではないでしょうか。

世の中に対してひねくれるのです。

自分はもう肉体的にも年齢的にも終わりました。

萎縮した筋肉が復活するとは思えません。
一日一日が無為です。

何をやっても空しいのです。

ヒジ回りの筋肉が薄くなりパソコンへ向かうのも一苦労です。

いつまでブログ更新できるか不安になります。
本来クッションがあるところにない。

身動きが非常に取り辛くぎこちないのです。
これがまたより一層不安を増長させるのです。

どこかで好転してほぢいのですがこればかりはまったく予想できません。

ただ耐えて生きるのみです。
最後までお読みいただきありがとうございます。

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性。現在、自立支援医療や障害基礎年金2級、手帳2級の社会福祉制度を活用しながら自宅療養中。 2000年よりベンゾジアゼピン系薬(レキソタン、ロヒプノールなど)を服用。 2015年、40代前半に常用量依存と過労の影響で倒れたことを機に、自宅での療養生活を開始。当時服用していたベンゾジアゼピン系薬の有害性に気づき、断薬を決意。 2019年7月3日にレキソタンを断薬。現在、断薬から5年が経過し、筋肉の回復をはじめ身体全体の健康を取り戻しつつあります。 療養生活を送りながら、社会復帰を目指して日々前向きに過ごしています。