福祉サービスの質の向上を目指して

「昭和から平成半ばまでは福祉も恵まれていた」

昭和時代は、介護福祉業界は社会主義の計画経済の原理でなりたっていました。
住宅ローン、マイホーム政策と同じ一億総中流社会で福祉も当時の老人や障害者は恵まれていました。

2000年介護保険法と介護福祉が一部民間委託

それが2000年の介護保険導入とともに民間に介護福祉事業を一部委託するようになりました。

障害福祉サービスはこれ以前から障害者自立支援法で存在し、
現行の介護福祉は障害福祉サービスをモデルにされているといいます。

「よく介護はキツイ、底辺だ」と介護業界の待遇の悪さを嘆く声が多いのですが、
完全に市場原理が働いていないだけ、まだ恵まれているほうです。

政府が定めた報酬単価が低い。時給換算すると2000円。
移動時間を含めると「時給1000円~」の世界です。

確かに好条件ではありません。しかし新規参入が後を絶たないのは、
「取りっぱぐれ」がない制度ビジネスだからです。

またどんなにサービスが悪くて、虐待があってもほとんど無罪放免の世界です。

民間企業で市場原理にさらされていれば、客=利用者からの虐待などあれば、こうはいきません。

ほんの少しの暴言、失礼でも降格か首になります。

完全民間のサービス市場での経済活動ならほとんどのヘルパーは首になります。

つまり完全に労働者の「売り手市場」なのです。本来ならどこも雇わない人材でも
、例えば服役者や破産者でも、介護業界は受け入れてくれます。
多少の読み書きができればそれで良し。あとは家事をこなせる能力が多少あればいいのです。

親方日の丸に守られた既得権の世界、それが介護福祉なのです。

労働者にとって最後のセーフティーネットの機能も果たしています。

それでも福祉予算が削られて行く中、介護事業を縮小する事業所もあります。

市場経済と計画経済、資本主義と社会主義の入り交じる奇妙な世界が介護福祉業界の現実なのです。

「そもそも福祉とは?」

「福祉」に市場原理を持ち込むべきではない、そもそも福祉と市場経済は相いれません。

高齢者、障害者の需要は多いのだから完全に民営化すればヘルパーの待遇良くなります。

しかしその場合は、国や地方行政の給付がありません。完全自費の世界。障害や老齢で働くことができず、収入がほとんどない

障害者ひゃ老人の需要は極端に少なくなります。そして今度は質の高いヘルパーの供給過剰となり

資産に余裕のある障害者と高齢者のみの「福祉」となります。

政府が関与しない完全自費でのヘルパーとの契約。これは果たして「福祉」と言えるのでしょうか?

福祉とは、社会的弱者を公的資金=税金で救う制度です。完全に社会主義の世界なのです。

今の日本では制度的に低所得者になればなるほど、公費(税金や保険)でまかなわれるので、現時点では社会主義思想に
則った「福祉」が実現しているといえます。

しかし障害者や高齢者はさまざまな疾病、障害、生活スタイルなので、その需要にこたえるには、
官僚や役人のtくった机上の理論ではうまくいきません。

「市場か政府計画か」

だからといって福祉業者が勝手なサービスをしたり、利用者が金銭物品で便宜をはかり、
特別サービスをしてもらう、という「選択」
はできません。(自費対応の事業所ならオプションはあるかもしれませんが)

結果的に無味乾燥なマニュアル通りの介護福祉サービスになってしまうのです。

そしてそこで働いている人達は低収入でストレスが溜まっているので、サービスのレベルが必然的に低くなるのです。

利用者はお金の面では助かっていますが、そこで供給されるサービスの質は決して高いものではありません。

また貧しい若年福祉授業者の年上利用者への嫉妬・反発から陰湿な虐待もあります。

福祉は制度としては必要でその予算も増すべきです。

とはいえ、日本が資本主義社会である限り、低賃金で過酷な介護労働にあえぐ労働者の存在
があります。

利用者も福祉事業の労働者も「生かさず殺さず」といった境遇
で低温保存されているのが今の日本の福祉といえるのです。

市場経済と計画経済の調和が求められています。今のところ利用者と福祉事業者の個人的なやり取りとい
う運任せなのが実態です。

介護福祉業界は利用者、労働者共に社会的弱者の最後のよりどころでもあるので、一面的な政策では
人材不足、サービス低下、障害者、高齢者の置き去りという資本主義の負の側面ばかり目立つようになります。

こういった側面を考慮すると、福祉に関しては完全に社会主義にするべきではないか?と夢想するのですが、
計画経済の破綻の歴史(旧ソ連、東欧)、公共事業団のサービスの極端な低レベルをみると、
政府や国家を主導とする福祉も考えものです。

2025年団塊世代が後期高齢者になるころには福祉財源が枯渇します。今でさえ低いサービスの福祉が今後ますます
劣化していきます。

自分の財産と体力と知力しかあてにできない時代。それができる人はいいですが、ほとんどの人は無理でしょう。

政府の主導する低賃金でも耐えられる移民労働に頼るしかないのでしょうか。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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ABOUTこの記事をかいた人

近畿在住。50代男性。 ベンゾゾジアゼピン系薬剤で薬害を被りました。 2019年7月3から断薬開始 断薬に関する書籍、ネット上の知識、激励そして鍼灸治療(訪問)のお陰で断薬に成功。 現在薬はまったくのんでいません。 断薬生活を機に食生活を見直しました。 日々の料理記録から断薬成功に必要な「思想」を読み取って ください 断薬に必要なのは小手先のテクニックではなく 生命や社会に対する思想が重要になるからです。 思想は料理に反映されます 「医食同源」の立場から砂糖や添加物を除いた料理記事を中心に しています。 お米はたくさん食べています。 世間で喧伝されているような糖質など一切問題ありません。 (ベンゾ服薬歴) 2000年 レキソタンからベンゾ開始。 以降ベンゾ系の睡眠薬を服用。 2007年レキソタン(ブロマゼパム)、セルシン(ジアゼパム)の2種類を カクテル処方され、2015年まで8年長期服用。 2015年から大幅な減断薬開始。 猛烈な胃痛と痩せ(衰弱)に襲われ 筋萎縮の後遺症に陥り現在も療養中です。 現在断薬4年を経過 2023年8月3日時点