亡き祖父の墓前に立ちはだかる毒父

祖父の実家とはいえ、今や毒父が支配する家。そんなところに1週間も滞在できるのか?

こんな疑問と不安を感じながら、

北近畿の郷里への帰省の最終準備をしています。筋肉減少と肌の脆弱は何とか凌げるとしても、
精神的に耐えられるか?

まず毒親 両親に対しての不安。父に許されたといっても5月中旬のつい先日のことです。
2015年から4年近く怒鳴られ、疎まれていました。それが急に風向きが変わっただけですから・・・

有り難いようですが、やはり父を信用できない。そうした不安を抱えながら、
体は衰弱しており、精神的にもボロボロです。

かばってくれる優しい祖父はもうこの世にいない。他界してしまったのです。

その祖父の墓参りをして、これまでの不忠を詫びなければなりません。

この気持ち唯物論的、俗物的な父に理解できるわけがありません。

理解を装うことはするでしょう。その点は小賢しいですから。

父の悪口は言いたくありませんが、父の言葉は信用できません。これは2015年のケンカ以前からのことです。
お人よしにも私は父の甘言にのり、人生を誤りました。

いくらベンゾ系安定剤の大量処方でボケていたとはいえ、あまりにも危機感がありませんでした。

その油断ならない、そして私に逆恨みをしている父が今回帰郷したところで喜んで出迎えてくれるかどうか?不安です。

もう父とは何も話したくない。甘言も不要。ただ母と祖母と亡くなった祖父の菩提を弔いたい。

その思いだけで帰郷したいのです。ウソつきの父の存在が好ましくありません。

父がこの4年でやったのは間接的な殺人行為です。自分の息子が精神薬で福祉の世話になっていることを「知っていて」
暴言、人格否定の言葉を連呼したのです。

「あの時は忙しくて、パニックで仕方なかった」今こういう言い訳をしています。しかしこれはおかしいのです。
病気や混乱の時こそ平静を保ち理性的かつ毅然と対処しなければならないのです。

それが少し自分の思い通りにならないと、幼児のように泣きわめく。逆切れをする。

つまり精神性が低いのです。「精神性、そんなもの生臭坊主のタワゴトだ!」父の精神性に対する認識です。

心や精神、魂、こうした人間力、修養の力で人格や魂に磨きをかけることを軽視する。それどころか金儲けの邪魔になるからと
精神t系美徳を打ち捨てる。

そうして高度成長時代に金を儲けてきたから自分の経験が王道となっているのです。

別の言葉で言うと夜郎自大。こういた父がどのような甘言を弄しても信用できません。

本当は帰りたくない。しかし2015年を最後に祖父と別れたまま2年後の2017年に永眠しました。

通夜にも葬儀にも参列できず、自宅で苦しんでいた。せめて墓参りだけはしたかった。

それも筋肉減少と胃痛で肉体的にできなかった。何より恐ろしい父が私の帰郷を阻んでいました。

「もう北近畿の郷里へは戻れない」と嘆いていましたが、父の許しが出た。しかし裏の計算があるに違いない、
もしかすると何らかの罠かもしれない。

普通に祖父の墓参りにも行けない状態なのです。

それでも今回は比較的に穏当な雰囲気。帰郷する「ラストチャンス」かもしれません。

衰弱した体、弱くなった皮膚。私の姿を父はどう見るか?祖父の菩提を弔いたい気持ちと毒父への嫌悪感。

自分はいかにふるまうか?もう少し考え、自分の本意=祖父の墓参りだけは立派に成し遂げたいと心に刻み込んでいます。

最後までお読みいただきありがとうございます。

(注意)
筆者5月20日~5月25日頃まで故郷へ帰郷滞在します。本稿は予約投稿です。コメント等の返信遅れます。ご了承ください

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性 私大経済学部卒業  若いころから病気がち アルバイトや自営の仕事を転々とする 現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度利用者 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と 過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 薬害を受けてもないことにされるという資本主義社会の 矛盾に気づき社会福祉を受けることでマルクスの資本主義分析に共鳴