旅のお供にレキソタン

5月21日午後に北近畿の郷里に帰ります。両親と90代の祖母がいます。
老老介護状態です。農家で小さな村。2015年に父から絶縁状態だったのが2019年5月にふとしたきっかけで許されたようです。

これで郷里へ帰る決意をして旅支度をしています。

下着や衣類、カメラやICレコーダーはもとろん薬を忘れてはいけません。

レキソタン・・・ベンゾ系の向精神薬。減薬断薬が盛んに議論されています。服用することに罪悪感があり
何度も減薬や断薬をしては失敗。再服用の繰り返しといういわくつきのベンゾ系。

しかし今度は頼りにしています。許されたとはいえ、何を考えているか分からない父。

気まぐれまたは天候で虫の居所がコロコロ変わる情緒不安な父。

いく亡き祖父の菩提を弔うための墓参りとはいえ、父にとっては義理に父。血縁関係は私以外にいない。

昔はそれで頼りにされていましたが、大金をかけた事業で失敗。(というより普通に下請けしていただけ)

父の許しは甘い言葉。これまでの経験から敵を油断させ後で攻撃に転じる父の手口です。

何が起こるかわかない帰郷。本稿を書いているのは帰郷前の5月16日。書きためています。

老老介護にお金=ゼニに関するトラブル、小さな村。4年ぶりの再会。いつどこでどうなるか今から不安です。

筋肉減少と痛み。訪問鍼灸マッサージもない。心身がかろうじて一人の居宅で維持されている状況で
ストレスマックスな郷里へ帰る。

こんな中で頼りになるのはレキソタンしかありません。

ベンゾ系をどれだけ忌避しても、断薬希望しても、
旅先で、それも人間関係がどうなるか分からない毒家族の中に一人帰るわけですから、こういう時のための安定剤は必須です。

パワハラn多い職場で安定剤依存者が多いのが理解できます。話が通じない、マトモな理性を持ち合わせていない70代過ぎの父相手に
なんの防御手段も無しでは危ないのです。

毒と分かっていてもベンゾ系レキソタンに頼るしかありません。しかし、こういう時のレキソタンでしょう。

以前は旅先で断薬を試みていましたが、愚かなこと。環境の変化に適応できるわけがありません。

人工的なよくない薬とはいえ、レキソタンは旅のお伴。最良の同志。今回ばかりはレキソタン5mgが強い味方になりそうなので
肯定します。

5mg玉を朝晩、もしかしたら朝昼晩の3回のむかもしれません。それだけ今から緊張しています。

レキソタンのストックは大量にあります。毎月通院。そのうちの3分の一しかのんでいませんから、6か月分はストックがあるのです。

悪用などしません。ODもしません。こういう急な旅のお伴に所持するのです。

お守りです。プラセボ効果もあるでしょう。

郷里でどんなストレスが加わるか分かりません。筋肉の鎧も薄い。障害を訴えてもまず聞き入れられないでしょう。
適度にやり過ごす。そのためのレキソタン・・・今は強い味方です。

今回の帰郷が無事終われば、またゆっくり減らしていくつもりです。旅先でレキソタンをうまく使いこなす。

今回はベンゾ系に肯定的な旅の準備の心境を書きました。

最後までお読みいただきありがとうございます。

(注意)
筆者5月20日~5月25日頃まで故郷へ帰郷滞在します。本稿は予約投稿です。コメント等の返信遅れます。ご了承ください

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

ABOUTこの記事をかいた人

近畿在住。50代男性。 ベンゾゾジアゼピン系薬剤で薬害を被りました。 2019年7月3から断薬開始 断薬に関する書籍、ネット上の知識、激励そして鍼灸治療(訪問)のお陰で断薬に成功。 現在薬はまったくのんでいません。 断薬生活を機に食生活を見直しました。 日々の料理記録から断薬成功に必要な「思想」を読み取って ください 断薬に必要なのは小手先のテクニックではなく 生命や社会に対する思想が重要になるからです。 思想は料理に反映されます 「医食同源」の立場から砂糖や添加物を除いた料理記事を中心に しています。 お米はたくさん食べています。 世間で喧伝されているような糖質など一切問題ありません。 (ベンゾ服薬歴) 2000年 レキソタンからベンゾ開始。 以降ベンゾ系の睡眠薬を服用。 2007年レキソタン(ブロマゼパム)、セルシン(ジアゼパム)の2種類を カクテル処方され、2015年まで8年長期服用。 2015年から大幅な減断薬開始。 猛烈な胃痛と痩せ(衰弱)に襲われ 筋萎縮の後遺症に陥り現在も療養中です。 現在断薬4年を経過 2023年8月3日時点