宗教と科学の対立

さまざまな食養生の本を読んでいます。

断食少食にも何種類かあります。

今読んでいるのは、甲田光雄先生の青野菜食に関する本。

石原結實先生のリンゴニンジンをメインとした断食本。

この二者は西式医学の流派です。

内海聡先生の食に関する本。少食断食を認めています。

断食ではありませんが、高須克弥先生の一日三食本。

どの本も甲乙つけがたい、学ぶべきところがあります。

高須先生以外で
断食派で共通しているのは「朝食抜き」、「少食」です。

違いは砂糖に関するスタンス。
甲田、石原両先生は黒砂糖はOK。白砂糖はダメ。

肉は控えめに。

内海先生は砂糖に黒も白もないすべて直接糖ゆえダメ。

白米も小麦も直接糖だからダメという。玄米は妥協してOK。

肉魚は積極的に。

正直、混乱して、面倒だから一日三食何でもOKの高須先生のいうことが、
宗教的信念を打破するのにいいかな?などと思い巡らせています。
ただ胃腸の調子が極端に悪いので、自然と朝食抜きになります。

高須先生の一貫しているところは、「科学と宗教は違う」
「医学は科学でなければならない」
という唯物論的スタンス。

甲田光雄先生は宗教的主観的、観念的過ぎるのです。
「想念が少食を成功に導く」「小食は愛と慈悲の実践」
といった風です。食べることに恐怖すら覚えます。

この点西医学の断食派でも
バランスがとれているのは石原結實先生。

ニンジンジュース、季節の温野菜料理などレシピ豊富に
宗教的表現を少なく著書で紹介されています。

ただ理論=説法が病人には物足りない面があります。

病気治しはある意味宗教的行為ですので、
どうしても患者の主観面をサポートしてくれる、信念が欲しいのです。

ただそうすると怪しい人が医療と宗教的行為を合致するカルトに結びつ
く危険があるのです。

患者個人がそういう狂信に陥る傾向もあります。

命がけですので、本当に信頼できる理論と実績データを求めるのです。

患者にとって宗教だろうと科学だろうと病気や不調が治ればどちらでもいいのです。

なので宗教と科学の対立を問題にするのは、ナンセンスです。

ただどうしても問題のある事故のある方法は宗教的であり、
この点科学的アプローチがなされていない言説には
注意しなければならず、
どこまでも宗教依存的な患者には注意が必要になります。

とはいえ無味乾燥な科学的実績も信用しきることはできません。

疑似科学の精神医療の罠もあることですから、宗教と科学の対立は
病人にとってホットなテーマであり続けるのです。

いろいろ本を読んでいます。それだけ辛い症状が続いているのです。

こうしたことを考えないシンプルな生活がいつ来るのでしょうか。

「宗教と科学の対立」なんてタイトルに冠しましたが本当はどとらでも良く
シンプルなやり方で治り、シンプルに生活したいだけなんです。

しかしそう簡単にはいきません。
皆自分のやり方が正しいと主張する方達で答えはあるようでみつかりません。
自信喪失の病人が答えを出さなければならないのです。

主観的信念、催眠効果で宗教的だ断食療法がうまくいくことがあるかもしれません。
特に現代人は食べ過ぎですから丁度いいのでしょう。

朝だけ断食で昼夕は普通に食べるのが無難です。

ただ根治願望のある慢性病人はそうも言っておられず、
急進的な方法を模索せざるを得ません。
そうすると「宗教と科学の対立」に出くわすのです。

早く楽になりたいものです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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50代男性 私大経済学部経済学科卒業 経済学士 専攻は古典経済学(アダムスミス、マルクスなど) 若いころから病気がち アルバイトや自営の仕事を転々とする 現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度利用者 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と 過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 薬害を受けてもないことにされるという資本主義社会の 矛盾に気づき社会福祉を受けることでマルクスの資本主義分析に共鳴