病気は「休め」という体の訴え

重度の筋硬直で激やせし

ほとんど何もできなくなり倒れこんだのが2015年

少しずつ回復し2024年の今では

早朝からトレーニングや家事、料理、英語学習に明け暮れ
多忙です

一文の得にもならないことを自分の回復のためと言い聞かせ
この数年間、続いている習慣の数々

一時倒れて寝込んでいた頃を思うと夢のようです

とてもありがたい状態です

日常の家事ができて一人で身の回りのことができるのが
どれほどありがたいことか

それをわからず、世間や他人と比べて不平不満を持つのはとても甘えた
ことです

とはいえ健康に近づくほど
どん底にいた時の苦しみを忘れます

人間の心というのは放っておくと

不平不満、怒りや恨みといった否定的思念に満たされてしまいます

怖いのはせっかく回復していても、無理をして再び病気に陥る危険があるということです

50数年生きてきた経験から言えるのは回復期に油断すると
再び病状が悪化するし失敗するということです

それも前回より大きな被害をもたらします

「油断大敵」という言葉がありますが病気療養の者にとって
一番心得ておかなければならない言葉です

病気が治り元気や気力が戻ってくると
焦りの感情からあれもこれもやろうとします

これまでできなかったことができるのはとてもうれしいことなので
つい力が入るからです

ここで言いたいのはこうした回復期はあえて病気のころに学んだ

「謙虚さ」
を思い出すことです

そもそも病気を悪いことと考えるから回復期に無理をしようと焦るのです

そうではなく病気は神が与えてくれた福音と考え
無神論の場合は自然が与えてくれた休息期と考え
病気も人生の中のかけがいない気づきの季節(とき)と肯定するのです

健康で世の中に出ていることを絶対基準にいてはいけません

病気や不調のときこそ人間が真に人間らしく生きるのに必要な精神性を与えてくれる
命のときなのですから

世俗から離れ静かに日々の暮らしを
過ごすのも心豊かなものです

雨露凌ぐ家があり安全に食事ができる
眠る場所がある

ミサイルや銃弾が飛んでくる心配もない
こう考えるだけでも心穏やかになります

ちょっとした心術が大切です

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性 私大経済学部卒業  若いころから病気がち アルバイトや自営の仕事を転々とする 現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度利用者 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と 過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 薬害を受けてもないことにされるという資本主義社会の 矛盾に気づき社会福祉を受けることでマルクスの資本主義分析に共鳴