夏のフラッシュバック ~胃の激痛 無汗症の思い出

2015年(当時40代)心窩部の痛みで倒れました。

当時は胃が悪いと思い込み消化器内科を3軒以上ドクターショッピング。

胃カメラで検査しても異常無し。
数か月後に別の病院で胃カメラ。

どこも異常なしで「心因性」とされついに医療から放置されました。

医療ではダメだと諦めただ家にこもって痛みに耐えるのみ。

家事は当然できず、汚部屋に。

食事は1日1~2回。雑炊かレトルトを食べて過ごしていました。

この頃からネットでベンゾ副作用を調べ、ベンゾの薬害について学びました。

怖くなり、焦って断薬したこともありますが、

セルシンとレキソタンの最低限の量は服用していました。
薬を飲むことで痛みが麻痺させたのです

よくない思いながらもその場しのぎでベンゾに頼っていました

外見は痩せこけ60kg前半までやつれました。

今のような健全な痩せ方ではなく
頬がこけ落ち、誰がどう見ても異常者の風貌。

現在は70kgですがリバウンドで一度かなり太った後に自然に健康的に痩せたので
同じ「痩せ」とはいえ、当時と今では顔つきが全然違います。

8月の昼間は暑く夜は虫の声が聴こえる今頃の季節は特に印象的です

夏でも汗が出ない、クーラーをつけずとも過ごせるいう体温調整にまで
身体に異常が出ていたからです。

虫の声があの世からもお誘いに聴こえ、この世の無常を感じたことがあります。

こうした中、Twitterのベンゾ薬害アカウントにずいぶん励まされました

当時、極端な冷え性になり、毎年夏になると早くも来る冬が怖くて恐れおののいていました。

2015年から2017年頃までの夏はこのようなひどい状態でした。

何とか福祉の力を借りてやり過ごそうと

2017年に福祉ヘルパーさんの訪問サポートを受けました。

正気を取り戻し
少しずつ回復。

ここから先は回復の一途で省略しますが、
心窩部の激痛でのたうち回り続けた2015年~2017年は生き地獄

何度も死を覚悟しました。

筋肉は戻らず「このままALSになって人工呼吸器になるのでは?」

と恐れていたこともあります。

当時、あと数年しか生きれれないと覚悟していただけに

2023年の今もなお生きているのは自分でも信じられません

当時、何度も欲深い自分の過去の言動を反省しました。
そして普通に生活できることがどれほど素晴らしいか、気づかされました。

しかし、人間は欲深いもので、謙虚に反省したことなどすぐ忘れてしまいます

今の不調など2015年頃に比べれば大したことありません

先の不安も死にかけた当時を思うと「贅沢」です

普通に寝起きしてご飯が食べられる、

これだけでも十分ではないか

辛い過去に人は触れたくないものですが

自分の場合、辛い過去の記憶はまた同時に
今を生きる力になります

回復したことに感謝しつつ少しでも体をいたわりたいです。

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性 私大経済学部卒業  若いころから病気がち アルバイトや自営の仕事を転々とする 現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度利用者 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と 過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 薬害を受けてもないことにされるという資本主義社会の 矛盾に気づき社会福祉を受けることでマルクスの資本主義分析に共鳴