【ベンゾ離脱回想録】苦しみの40代

ベンゾ離脱による全身の筋硬直、胃痛、激やせ、冷え・・ 2015年、当時40代になってからの数年間はまさに地獄でした。辛い身体症状にグルグル思考 家事もろくにできず毎日雑炊かインスタントラーメン。今みたいに食材をそろえることができず料理もできず家にあるものを簡単に調理し適当に食いつないでいました
「誰も助けに来ない・・」 遠方の両親からは見限られただ一人ですべてを抱え込み地獄の苦痛の中でのたうち回っていました
「せめて食欲だけでも回復すれば・・」「筋肉さえ戻れば・・・」
遠のく意識の中で毎日悔やんでいました 「死」を感じました。 今でもどうして生き残ったのか不思議です
「衰弱してもう死ぬだろう」と考えながらも水を飲むとすぐには死にませんでした。そして少しでもお米を食べると生き続けました まさにお米は命なのです

衰弱しボロボロの体で障害年金の申請準備と福祉医療の確保手続きを気力をふりしぼってやるだけやりあとは自宅の薄暗い部屋でうずくまって毎日過ごしていました
日々の外部とのつながりはコープの宅配と地上波がかろうじて映るテレビそしてインターネット、特にTwitterだけ。そこには同じようなベンゾ被害の理解者がいました。これだけが死にそうな中の唯一の精神的な力でした。最悪の中、暖かい声をかけて頂いたことに今でもとても感謝しています
ネット上とは言え人とのつながりが生きる力になりました。こうして困難な中をわずかな食事とつながりで生き続けました。
ガリガリに痩せ衰え誰が見ても弱り切っているのに多くの人は見て見ぬふりでした。病院で検査をしても異常無し。よくて精神病扱いで薬をのむよう励まされたことだけです。ベンゾの薬害を医者に話してもわからないしそもそも声を出すことすら困難になっていました。体が歪み硬直したことで神経伝達がおかしくなっていたのだと思います
衰弱する前は大きかった声が弱々しくしか出ない、何かの罰かと真剣に悩んだほどでした。40代のほとんどを苦しみと屈辱の中で毎日を過ごしたのです。50代になった今はかなり回復しましたが当時の苦しみを忘れないように心に刻みたいです


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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性 私大経済学部卒業  若いころから病気がち アルバイトや自営の仕事を転々とする 現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度利用者 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と 過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 薬害を受けてもないことにされるという資本主義社会の 矛盾に気づき社会福祉を受けることでマルクスの資本主義分析に共鳴