セルシン断薬について2015年から2018年振り返る

2015年12月にセルシンを断薬しました。セルシンが処方箋から消えました。
その後2016年から胃炎で救急車2回。

2016年8月に倒れ込みました。皮膚脆弱が現れました。

2016年1月大学病院へ自転車で行きました。

筋肉減少の症状が出始めました。そして夏は倒れ込んでいました。
汗が少なくなり体温も上がらずクーラーをつけずに過ごしたことを思い出します。

2016年10月末に心療内科でドグマチールの初処方されました。そしてセルシンが処方箋に復活。

ドグマチールには手を出さず破棄。2017年通院せずにいたのでベンゾは強制断薬でした。

そしてレキソタンの代わりにセルシンを小分けに服用していました。

5月ごろタクシー通院。年末に少し
レキソタン戻しました。今から思うと強烈な禁断(離脱)症状でした。

現在レキソタンを5mg×2=10mgに戻していましたが、体がだるくなり今朝はのんでいません。
拒絶反応です。

本家ブログではのんでいると書いていますが、予約投稿時点での観測ですんで誤差があります。
ご了承ください。

いずれにせよベンゾの急な減薬、断薬は危険です。

慎重にやっても自律神経が大いに乱れます。

麻薬並みです。長期処方は福祉、障害年金のための履歴づくりです。
向精神薬はのまなくていいです。

離脱禁断症状における「頓服」的なのみかたでいいです。

はじめからのまなければ人生有意義に過ごせたはず。

20代30代の方、人生は長いです。安易にクスリに走らないでください。

精神科・心療内科は悪徳商法詐欺です。

既にのんでしまった方は、適度にクスリと付き合い有意義な人生を送る、違和感が出れば減薬する、というスタンスでいいです。

本当に面倒なクスリをのんだばかりに食事すら楽しめなくなりました。

しかしいつか出口はあります。

体の痛み、慢性疼痛であったとしても緩和される時が必ずきます。根治出来なくても祖の症状と付き合うくらいがいいのです。

それにしても2015年からのベンゾ減薬。甘く見ていましたが、この薬は本当に辛い禁断症状をひき起こすクスリです。

自宅療養、福祉介護、福祉看護で何とか自分を保っています。

誰が責任を取るわけではありません。

無責任体制が本質の日本の姿を自らの体の苦痛で体現しています。

レキソタンは5mgの強さを実感

筋肉減少でレキソタンは5mgの強さがわかりました。耐性どころか体の力が抜けます。

30代レキソタン5mg×3=15mgとセルシン注射で有名なセルシン5mg×3=15mg合わせて30mgの
ベンゾをのんでいたのですから体に相当負担がかかっていたのがわかります。
ビオチン欠乏症にもなっていたでしょう。

もちろん意識や思考は鈍化。よくこれで日常生活を一人でなおかつ仕事(事務仕事)と
地域社会でのトラブルに対応できていたものだと我ながら感心します。

ほとんど休みの無い日が多かったです。たまにいく「くら寿司」が息抜きでした。もちろんお一人です。

仕事から、地域から、精神科医から、そして家族からいじめられ、最後のよりどころの福祉からも軽い虐待を受けました。

イジメられるために生まれてきたのでしょうか?よく考えます。

人生の要所要所でタチの悪い人物に絡まれます。そういう人がまた権力を持っているからある種の弾圧です。
わたしが保守的な発言をするのは、革命や民主主義を賛美する勢力の正体が実はものすごく恐ろしい独裁体制であることを
知っているからです。

戦後民主主義は欺瞞なのです。そして精神医療もその一翼を担っていたのです。

そうとも知らず「お人よし」すぎました。

とにかセルシンは断薬しました。レキソタンも5mg以上は受け付けない体です。

休養と栄養、介護に看護を受けて自らを
取り戻していきたいです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度を利用し自宅療養中 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 現在断薬5年経過  筋肉もほぼ回復