北近畿滞在2日目
近畿地方に住むものにとって、
丹波といえば旧丹波国。舞鶴、篠山が身近にあります。
さてこの「丹波」という地名
廃藩置県により丹波の国という言い方は行政上消えましたが、
地域住民の間では丹波と篠山の伝統は今でも根強く生き残っています。
旧丹波国は今でも生きているのです。
丹波篠山は、魅力的な土地で黒豆やデカンショ節で有名です。
また丹波国は天然の要塞といわれるほど周囲を山に囲まれています。
丹波篠山はそのような歴史的、地理的な強さのある土地柄です。それが明治の廃藩置県により分断されました。
日本の近代化が進みにつれ、丹波と篠山は京都府と兵庫県の行政エリアに分散されていたのです。
丹波の地名が行政上に2004年に新しく出来ました。
丹波市です。それまで京都丹波として根強く残っており、古来からの京都文化圏を感じる地名です。
しかし兵庫に吸収された丹波国は丹波篠山という地名はあっても、それはどこか明治以降の近代化による
人工的なものでした。
丹波国の古来よりの歴史
を無視した暴挙に筆者は思えるのです。
「歴史の復活?」
今年4圧丹波篠山市が行政単位として誕生しました。
これは黒豆やお米といった農産物のブランドといった経済的メリットの目的
のためだけではありません。
、
旧丹波国の歴史の血脈を蘇らせ引き継ぐ歴史的快挙なのです。
もちろん丹波篠山市の誕生に反発する声もあると聞いています。
しかしこれまで分断されていた丹波と篠山が統合されました。
分断された歴史と文化の復活です。
丹波篠山市によって、明治維新、廃藩置県の負の側面がようやく解消されたのです。
明治維新をやたら美化する風潮があるなか
今回の丹波狭山市の誕生によって明治維新と廃藩置県の負の側面を
考え直すよいきっかけとなりました。
それがさらにひいては日本の近代化とはなんだったのか?
その光と影に思いをはせてみるべきでしょう。
令和という時代、戦後70年が見直されています。しかしそれだけでなく、
それ以前の明治維新と大日本帝国の近代化と廃藩置県
を探るべきです。日本人が忘れかけていた古き良き文化と伝統をを思い起こす契機となるでしょう。
北近畿の郷里に滞在し、隣接する丹波国へ思いをはせました。
故郷に帰ることで故人を偲ぶだけでなく、丹波篠山市の誕生の報を知り、
温故知新の息吹を感じさせられました。
北近畿は日本海側に位置する魅力的な土地です。兵庫と京都の真ん中くらいに存在する丹波地方、丹後地方・・
温泉もたくさんあります。
ベンゾ離脱の湯治に良いでしょう。
このエリアをいつか列車で散策できる日を夢見ています。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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