毒親たちの無責任

3月になると思いだすのは、2年前の2017年。
年齢は40代前半でした。

重度の抑うつで部屋で一人倒れ込んでいました。外部との接触は宅配員と近所の方たち。
家族=70代毒親とはほぼ絶縁状態。無実の罪で今でも裁かれています。

一番苦しい中、ネットでの交流が救いになりました。

今でも助けになっています。そして2019年もまだ生きています。
2年前に寝込んでいた時は、
死を覚悟したほどです。ベンゾ離脱症状と急激なストレスが重なったためだと思います。

ベンゾ離脱だけであれだけ意識が薄弱になるわけがありません。

しかし脳に作用するクスリですから、8割から9割はベンゾジゼピンの離脱症状が原因です。

レキソタン15mgに加えセルシン(ジアゼパム)を2015年まで一日最高量の15mgのんでいたのを
2015年に一年がかりで0にまで大幅減薬しました。

その反動で胃酸が逆流し、自律神経とホルモン、免疫系統すべてに異常が出ていたのだと確信しています。

そこに家庭環境の変化、家族からの冷酷な仕打ちが始まり急激なストレスとなって心身共にボロボロになりました。
精神の障害者となったのです。

過保護から一気に虐待。過保護も虐待と言われますから、生まれた頃からずっと虐待されていたのでしょう。
思えば幼少の頃からどこか生きづらかった。

弟が二人いるのですが、両親の「毒」を本能的に察知して20代に出ていきました。

私は30代まで一人暮らし。しかしそれも親の保護、監視の中です。AC アダルト・チルドレンです。

人間関係をうまく築けなかったツケが過保護な親の毒の対象にされたのです。

知らない間に読書に現実逃避するようになりました。さらに向精神薬、ベンゾジゼピンをのむようになりました。

これは毒父という現実から逃れ、
「自分は病人だ」と訴えることで「逃げ道」を用意していたのです。

ベンゾは軽いクスリだと思い込んでいたので、当時はそれでうまく現実逃避できていました。

しかしベンゾはまさに化学的にも現実逃避の手段として使用されている麻薬まがいのクスリだったのです。

自分の現実逃避はより強固になり、気づいたときは心身がボロボロになり、

過保護な毒親は2015年を境に鬼になり、私を捨て去っていったのです。

2019年、生活費の支援は遠方から振り込みで最小限ありますが、それでも電話を許さない、私の居宅に訪問しない。ネグレクトです。

理由は私が出世しなかったこと、大金をつぎ込んだのにリターンが無かったことです。

私に過度の期待をかけ投資されても、この不景気で不安定な時代に、
ビジネスも商売も世間も何も知らない一人の青年のビジネスがそんなに楽に行くわけがありません。

結局何もせず店じまい。最初から開店休業。そもそもビジネスなどありませんでした。
形だけです。当然赤字で貯金は減る一方。これらの情報を全てリアルタイムに伝えていたのですが、
両親は過度の期待による妄想、幻想の中にいたのです。

通帳を見せても気づかない親たち。過度な期待と妄想で毒親たちは、私の現実を理解できなかったのです。

親が愚かなのです。私も馬鹿ですが、親は現実を理解できない馬鹿。

90年代学生時代に私は出世コースにありながらも毒親たちから全力で進路妨害されました。

これは毒親の特徴で、彼らの潜在意識には「子供が成長し経済的に自立されると支配できなくなる」
という恐怖心から私の自立と独立を全力で妨害したのです。

そうして毒父が停年になるまで私が30代半ばになるまで支配しました。

そこで中途半端な小金を持たしそれで資本主義のギャンブルの賭けの対象にされたのです。

私は90年代普通に大学に入り卒業しました。

就職も決まっていました。しかし、当時40代で大企業勤めの父に妨害されました。

毒父は単身赴任という左遷にも関わらず、異常なまでの負けず嫌いで息子の私にも敵意をむき出していました。

おそらく父の深層心理には、
「大卒の息子が社会に出ればすぐに自分の値打ちは下がる、これまでのように支配できない。」
毒父はこう本能的に察知したのでしょう。

大手製薬会社のMRだった父は、医者を接待するテクニックを使い息子
の私を骨抜きにし、コントロール下に置きました。

当時の私は20代~30代。持病の肩こりと慢性不眠があったので、
こうした毒父の甘言と接待にのせられ、豪勢な食卓で世間から遊離しました。

読書だけはやって30代半ば、出版メディア業界を志す計画を立てましたが、
父に明らかにアホな助言をされて、それをうのみにして失敗しました。

洗脳されていたといってもいいです。普通の思考ならまず実践しない計画を
実践させられました。私は疑問に思い、反対していたにも関わらずにです。

それでも日々を過ごしていたのは、共産主義やカルト宗教顔負けの洗脳を毒父からメールや電話を通じて受けていたからです。

ベンゾを常飲していたのもそうした洗脳の度合いに拍車をかけました。

ベンゾが抜け、毒父からの洗脳が解除されてきた40代、2015年の気づいたときは
お金が少なくなり、ベンゾの薬害が体中に出てきました。心身を壊していたのです。

肝心の家族に助けを求めました。しかし一番助けが欲しい時に毒親から見捨てられ、
無実の罪で罵声を受けました。

もし毒親たちと冷静に議論すると私は全然悪くない。

無知で馬鹿な親こそが息子の可能性を潰した真犯人であることがわかります。

なので無視をするか逆切れをする。そして自らの罪を消すために、過去を隠蔽する毒親。
私が今の70代前後の世代が嫌いなのは、こうした責任逃れを平気でやり、

他人や弱い立場にあるものに責任をかぶせて平然とするからです。(パワハラというやつです)

全ての70代がそうだとは言えませんが、無責任で倫理観も道義もない連中はこの70代、毒親世代に多いのです。

ベンゾ離脱だけでも苦しいのに毒親からのイジメ、私刑、さらに資本主義社会の厳しさ。

過酷な状況です。障害福祉を利用し、残っている体力とお金で生き続けるしかないのです。

あまりにも厳しくむごすぎます。

3月。まだ寒いですが、春を感じることもあります。

そしてベンゾと毒親から奪われた時間を意識させれる季節です。

人を育てるということを知らないものが親になるとその子は悲劇です。

その罪を認めず虐待に走る親が多い。明らかに指導者のミスリードです。

東条英機ら陸軍部を日本国民をミスリードした戦犯というのなら、
今の70代こそ今の40代をミスリードした最大のA級戦犯。

こいつらが「今さら」保守だの愛国だの言うのは反吐が出ます。30年遅い。

東京裁判史観に若き日に毒された今の70代世代は、最後までサヨクでいてください。

あなたたちが20だ~40代だった1970年代から1990年代に
保守で歴史を重んじていましたか?天下国家を語る資格はあるのか?

当時あなた方はその正反対だったではないか?自分の思想の歴史を隠蔽するな。
捏造するな。仕事で忙しかったと言い訳するな。
それこそあなたたちが今批判している韓国朝鮮と何ら変わりない。

まず自らを省みよ。と言いたいのです。

自らの仕打ちと身体をボロボロにされたことを思うと、今の40代こそ最大の犠牲者。人数も多いのに少子化。
学歴もある人が多いのに各業界で潰されている。

精神科医にしろ毒親にしろ、盗人猛々しい卑しい精神の持ち主が今の団塊世代に多い。
全てとはいいませんがその傾向にあります。

本当に倫理道徳の教育を受けていない連中が金を持つとロクなことはありません。

今回は愚痴になりました。

最後までお読みいただきありがとうございます

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ABOUTこの記事をかいた人

近畿在住。50代男性。 ベンゾゾジアゼピン系薬剤で薬害を被りました。 2019年7月3から断薬開始 断薬に関する書籍、ネット上の知識、激励そして鍼灸治療(訪問)のお陰で断薬に成功。 現在薬はまったくのんでいません。 断薬生活を機に食生活を見直しました。 日々の料理記録から断薬成功に必要な「思想」を読み取って ください 断薬に必要なのは小手先のテクニックではなく 生命や社会に対する思想が重要になるからです。 思想は料理に反映されます 「医食同源」の立場から砂糖や添加物を除いた料理記事を中心に しています。 お米はたくさん食べています。 世間で喧伝されているような糖質など一切問題ありません。 (ベンゾ服薬歴) 2000年 レキソタンからベンゾ開始。 以降ベンゾ系の睡眠薬を服用。 2007年レキソタン(ブロマゼパム)、セルシン(ジアゼパム)の2種類を カクテル処方され、2015年まで8年長期服用。 2015年から大幅な減断薬開始。 猛烈な胃痛と痩せ(衰弱)に襲われ 筋萎縮の後遺症に陥り現在も療養中です。 現在断薬4年を経過 2023年8月3日時点