北近畿滞在6日目

北近畿滞在6日目。早朝時に父の怒鳴り声あり。
「また一日緊張を強いられる嫌な日になる」と暗い気持ちになりました。

今日がようやく滞在最終日です。明日で南近畿の自宅に帰宅予定。

「あと一日」と指折り数え、何のために帰郷したのか?自問自答しました。

5月20日から6泊7日の旅。北近畿滞在中の日常は2階の自室で過ごしました。

自由にならない体で療養するのは南近畿の自宅と基本的になにも変わりません。

いつもと同じように過ごしました。

ただ掃除洗濯料理など家事は全くやる必要なしで甘えさせていただきました。(それでも食器洗いくらいは自分でやっていましたが・・・)

家族分の家事を自分でやると、かえって父母の家事ペースを乱し迷惑がかかると配慮したという見方もできます。)

南近畿と北近畿での滞在中の生活の違いは、朝食をとったことと父から軽く一杯すすめられ
飲んだことくらいです。

それとインターネット環境が無いので、オフラインのパソコンのメモ帳で
この滞在録を書いています。

「スマホがあればよかったのですが、たまにはネット無しのオフライン環境もいい。

ネット無しでも生活に基本問題はありません。

レキソタン5㎎も一日2回服用していました。(23日だけは午前中の一回のみの服用)

問題は、滞在中やたら母に対して馬瀬を浴びせて精神的DVをしていた父。これが苦痛であり、

「二度とこんなところに帰るまい」
「父から離れる」と誓ったことです。

「朝から父の怒声があったけれど」

いつも昼ごろか夕方に聞こえる父の怒声。理由は介護ストレス、母の言動などいろいろ考えられますが、
尋常ではない怒声。

幼少の頃に母に怒鳴っていたのと同じ怒声なので、怒声で人を威圧するのは、父の本性です。

それを今朝は5時半から聞かされ、冒頭で述べたとおりで緊張と恐怖を感じました。

恐る恐る私が水を飲むため一階に降りると父が朝食の用意をして笑顔で待っている。

ご飯に味噌汁、ゆで卵、レタスのサラダ。

私への敵意も悪意も何も感じない。「どういう風の吹き回しだ?」かえって薄気味悪さを感じながら、
父の用意した朝食を食べました。

当然父はそばにいたので話しかけてきます。
普通の親子の会話で
私に怒鳴る気配はない。
早朝に聞かされた母に対する怒声はいったいなんだったのか?

疑問に考えました。

父いわく「今朝、イノシシの罠を見に一人山に入った。本当は一人でそういうことはしてはいけない、

お前も山に入るときはイノシシの罠が仕掛けてあるから気をつけろ」と忠告を受けました。

ここでで私は察しがつきました。父はこの早朝のイノシシの罠の管理に疲れていたのです。

父の怒鳴り、怒声は異常で正気とは思えませんが、過労によるストレスによるものと考えられます。

それでも母に八つ当たりする父の姿には辟易とします。若い頃にこのような父を見限って家を出た弟は正解でした。

私への出資の失敗はそれほど気にしていないようで、私に対する恨みや敵意は今のところ見当たりません。

純粋に田舎での、それも嫁の実家での介護と農業、自治会仕事で疲れているのが本当のところのようです。

それでもこの滞在中、どこかぎこちなく、一歩間違えれば大トラブルに発展しそうな殺伐とした空気。

私は今回の滞在で目的である祖父の墓参りは達成しました。

父とも4年ぶりに面会し一応の和解をしました。

母とも2年半ぶりに会いました。祖母とも、4年ぶりです。

おそらくこれが最後の別れになるかもしれない祖母とも4年ぶりの面会を果たしました。

ベンゾ禁断離脱と後遺症の苦しい戦いと家族の不幸、家庭不和。

「今回が最後のチャンス」と後押ししてくれた訪問鍼灸師とヘルパーさんの助言
に従って帰省したのは正解でした。

それにしても気化された父の怒声。やはりストレスとトラウマになります。

こんなことなら20代すぐに就職して結婚して住宅ローンでも組んでおけば良かったと後悔。

普段住宅ローンに否定的な私でも親が絡むと自分の家がほしいという気持ちになり、

住宅ローンを組む人たちの気持ちがほんの少しばかりわかりました。

私には障害と年老いた老親が残っています。今90代の祖母を介護している父母も70代。

この後、誰が面倒を見るのか?

さし差待った不安を感じました。

現在夕方5時前。父の怒声は早朝の数回限りで昼間は静かでした。

このまま平和に北近畿滞在最後の日を終え、
明日5月27日日曜日に南近畿の自宅に帰宅したいものです。

「父にとってやはり私の存在がストレス。私もやはり父がストレス」

父の怒声が早朝の一回だけで、今日は朝食時にニコニコもてなしてくれました。
これは父の私への好意ではなく、

私が5月26日に南近畿の自宅に帰宅することを伝えたからだと後になって分かってきました。

やはり父にとって私の存在はストレスなのです。

そうしたストレスを母に八つ当たりしていたのです。これが父の怒声の動機です。

母は祖母に辛く当たります。

「家族介護がいい」といいますが、これだけ暴言や怒声が家中を飛び交うのなら、
「素直にヘルパーに頼めばいい」と強く思いました。

また母にもそのように忠告したのにこれまた拒否されました。

こういうところが毒親たる所以なのでしょう。

私はもう親とは離れて暮らし続けたい。40代で障害者。体の不調と毎日戦いながらの決断です。

20代、30代、十分に自立する能力やチャンスはあったのに、父の口車に乗せられレールを外されました。

今は父名義の南近畿の自宅で一人暮らしを継続するだけです。

少ない貯金と年金の中から、食費はもちろん光熱費も出しています。

いつまで生活費が持つか・・病気に障害、生活苦。人生の苦難が一気に襲ってたのをまた確認させられました。

体が動くようになっただけまだましと考えるべきでしょう。

最後までお読みいただきありがとうございました。

本稿5月25日執筆したものに6月4日加筆修正したものです。

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性 私大経済学部経済学科卒業 経済学士 専攻は古典経済学(アダムスミス、マルクスなど) 若いころから病気がち アルバイトや自営の仕事を転々とする 現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度利用者 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と 過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 薬害を受けてもないことにされるという資本主義社会の 矛盾に気づき社会福祉を受けることでマルクスの資本主義分析に共鳴