北近畿滞在録7

これを書いているのは5月24日北近畿5日目の夜。

父の母への暴言が酷い。
母の人格を否定する父の暴言です。父は5月20日から23日まで朝から晩まで母を怒鳴っていました。

5月24日ようやく静かになったと思えば、夕方に父の怒鳴りがまた始まりました。

私は2階にいるのですが、父の怒鳴り声、わめき声が2階にまで聞こえてきます。

理由は父いわく「母が家事をしっかりやらず、クダばかりまいている」
というのがその理由だそうです。

しかし私がこの北近畿の郷里に滞在して4日。父母の言動の観察をしていると、

明らかに父のほうが「おかしい」

父は母に対して「狂っている」と暴言をはき、「しばくぞ」など脅迫する言葉を吐き耳を疑いました。
(このような父から母への暴言はこれまで一度も聞いたことがありません)

父はこの母方の実家の郷里で農業に介護、自治会などの仕事をよくやっています。

仕事はよくやっていますが言葉の暴力が多い。母はそれに心の空白を感じているように私には思えるのです。

それに90代の祖母が寝ている部屋のすぐ近くで父は大声を出す。

父の狂っているとしか言いようがない大声、怒鳴り、
叫び声が家中に響き渡るのです。

明らかに父による家族への「精神的虐待」DVです。

母に対する脅迫的な文言も入っていたので警察に通報してもいいレベルです。

いくら自分が農家を取り仕切っているからといって、家族の人格を否定する発言をしていいわけがありません。

私は非常に不快で、父に怒りさえ感じています。しかし私はただ黙るだけ。「傾聴」、余計なことは言わない。

なぜなら私が母の味方をすると父の母への暴言と怒鳴りが拡大し酷くなる危険があるからです。

母は確かにアルコールに依存してだらしない言動を取るときがある。

しかしだからといって気狂いのように大声でわめきちらし続けるのは、

幼稚で独裁的で非行に過ぎません。父は母に暴虐の限りを尽くしています。

二言目には家事も介護もこなしている自分をアピールする父。

しかしそんなものホームヘルパーに頼めばすむレベルです。

父は要は不要な仕事を作り出してそれに耐える自分をアピールすることで自らの存在を示している。

リストラ寸前のサラリーマン嫌らしい処世術をやっているのとその本質において変わりません。

最近の言葉ではマウンティングというやつです。

父は私に対してはオベッカを使います。なぜかわかりません。

この4年、近畿南部の自宅にいるとき電話口であれだけ私を誹謗中傷しておきながら、
4年ぶりに帰郷すると、歓待です。しかし一方で母に怒鳴り散らす。当然その怒鳴り声は私にも聞こえます。

間接的な父の私への敵意と悪意とも解釈できます。

とにかく怒鳴るほどのことでもないことにすぐに怒鳴ったり、わめいたりする父。

信用できません。

弟は父の精神虐待の本質を見抜いて90年代にすぐに出て行きましたが、私もそうすべきでした。

しかし今の私は障害の身。救いは近畿南部に自宅があって毒父とは離れて暮らしていること。

問題は生活費です。電気ガス代、食費、保険、その他雑費はすべて私の貯金と障害年金で支払っていますが
全額ではありません。

分譲マンションの安い管理費と固定資産税、水道代だけは父名義。

普通に手取り15万の仕事があれば余裕でクリアできます。

今すぐにでも名義変更して全額支払ってもいいのです。

しかし金銭のことは今はまだ少しでも出費を避けたいのです。

いざというときものを言うのはお金ですから。そもそも父は何を考えているかわかりません。

南近畿の自宅に来る危険もあります。弟のように毒父から逃げるべく家を出るべきでしょう。

「父の暴力的本質は変わらず」

母に八つ当たりし、つらくあたる。父は昔からそうでした。
定年前の金回りがいいときだけ大人しかったのです。

人格は変わりません。怒鳴る必要の無いことでも人のあら探しをしてまで怒鳴り散らす。まるで子供です。

このような父に関わっていると支配されたままになります。

父はいまだに私に経済支援とコメ支援を申し出てくれます。しかしもう私は父にかかわりたくない。

今回帰郷目的の祖父の墓参りと慰霊は終わりました。南近畿の自宅では完全一人暮らしですが、父所有の物件。
完全に父から離れて生活したい。

しかし一方で気になるのは、
北近畿で父に虐められている母と祖母です。

本当に何とか母を救ってあげたい。父は異常性格者です。
精神異常です。私がいうのもなんですが、父の言動は昔から明らかに常軌を逸しています。

父の悪い遺伝子が私にも入っていることを意味するので父を批判するの
は自分を否定することにつながりますが、
父は明らかにおかしい。毒父そのものです。

物質支援、経済支援、こんなのもらわなくても今の私でも十分やっていけます。(数年ですが)
20代なら平気で暮らせていました。

弱いものに八つ当たりし、大声で怒鳴り続ける父。亡き祖父が嫌っていました。私もそうです。

いくら正当な理由があろうとも、人を怒鳴り続けていい理由はありません。

父はサディストです。そのくせ小賢しい。

私に怒鳴らないのは、今後の介護要員として私に恩を売っているのです。

また毒父の洗脳工作が始まったのです。もうその手には乗りません。

気づくのがアラフィフと遅きに失しましたが、
最後の抵抗を考えています。冷静に戦略的に父からの離脱をはかる。

残される母と祖母が不憫でなりませんが父から離脱する戦略を考えなければなりません。

北近畿の郷里滞在。恐れていた家庭内の緊張、トラブル、怒鳴り。やはり発生しました。

私にはその攻撃の先は直接向きませんでしたが、

父の私への真意は悪意に満ちています。

これは何も私が事業を失敗したからというだけの理由ではありません。

父は昔から人を支配しいたぶるサディストだったのです。昔からそうでした。滞在4日目にしてより明確にわかりました。

明日は滞在最終日。26日の日曜日には南近畿の自宅に帰る予定です。

気分転換のつもりの帰省、母が父に虐められている実態と母から「助けてほしい」という言葉をわずかな時間に聞きました。

父はもう完全に家庭にとって毒です。私だけの毒ではなかったのです。

私は家庭平和を望んでいます。しかし父がすべてをぶち壊している。心や精神というものに無知なのです。

北近畿滞在4日目の夜。毒父について書かざるを得ないほど今日は緊張の一日でした。

5月25日が滞在最終日。

最後までお読みいただきありがとうございます。

本稿は2019年5月24日23時49分。北近畿の実家の2階にて執筆したものを2019年6月4日に加筆修正したものです。

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ABOUTこの記事をかいた人

近畿在住。単身男性。 向精神薬害で毎日闘病。 精神安定剤、ベンゾゾジアゼピン依存・離脱・後遺症の療養記録です。 レキソタン(ブロマゼパム)、セルシン(ジアゼパム)の2種類を2007年からカクテル処方され、8年長期服用。2015年から大幅な減断薬。その後2015年暮れから副作用・後遺症に陥り現在も療養中です。さらに家族との不仲で、経済的に窮しています。2017年から「障がい福祉サービス」を受給。訪問介護、訪問鍼灸施術受けています。漢方生薬も2019年5月下旬から開始。東洋医学にかけています。 診断は「抑うつ」障害福祉の現場に潜伏中。ブログで情報発信しています!