諸悪の根源は毒親 AC問題を考察

AC=アダルトチルドレン、アダルトチャイルドという概念、今の自分を説明するのに
適切な表現だと考えています。
(本当はこうしたレッテル貼り用語や概念は好きではありませんが、AC機能不全家族」
に関する専門家の方たちの考察はマトを得ています)

人生の不遇、ベンゾ問題、精神科、心療内科にかかり、向精神薬に依存したのは、元を辿れば
機能不全家族。AC。すなわちアダルトチルドレンという概念に行きつきます。

私は40代ですが、完全に自立したことがない、常に親の過保護、過干渉を受けてきました。

幼少の頃は父の暴言の飛び交う家庭環境で育ちました。

私が右派なのも右寄りなのも、毒父への反発からです。

専門家のようにアダルトチルドレンを研究したことも、学んだこともないので、ここで私が
AC、機能不全家族について書く資格はないのかもしれませんが、
ベンゾ依存と家庭環境、毒親は不可分の関係です。

2000年。父という絶対的存在の前に逃避したかった、それで「本」でベンゾジゼピンという物質に肩こり緩和、
不安解消の効果があると知りました。そのまま現在の精神科に通院し、薬物依存に陥ったのです。

毒父への対抗、それには医師の権威と夢のクスリという製薬会社のステマを信じて

精神科に通院したのが始まりです。2000年です。まだ20代でした。

まずレキソタンを出されました。ベンゾ系安定剤の代表格です。
のんですぐこれまで感じたことのない、多幸感、コリのほぐれを感じ、ずっとベンゾをのめば慢性的な肩こりは、
根治すると盲信し始めました。

しかし、心のどこかに「これは麻薬みたいだ、のんでいる間だけコリがほぐれているのではないか?」と疑念を抱いていました。

そして薬物服用による不自然さ、人格の変化も感じました。しかしそれを自分の成長、クスリが良い意味で効いてきたと錯覚し、
小まめにレキソタンやベンゾ系睡眠薬のロヒプノールを常飲するようになりました。

当時の父は50代後半。大企業勤めでしたが左遷を受け入れながら、のんびり高給を取り、私と酒を飲みかわす、幼少の頃の父とは
正反対の過保護な父が30代だった私の前に現れたのです。

父から逃れようとしてのんだクスリ=ベンゾ系レキソタンには依存したままでした。

こうしてベンゾをのみながら、過保護な父と豪勢な食事で平穏な日々を過ごしました。今から考えれば、すべて超過保護でした。

しかしそうした平穏な日々は長続きしませんでした。2005年頃、毒父が60の停年になったとき、自分は30代半ばになっており、
人生に焦りはじめました。ベンゾをのんでいたのもあって被害妄想的なまでに自分の人生にとらわれ、

幼少の頃への父への恨みが爆発したのです。

そこへ過保護な父は私に大金を持たせることで「和解」をはかりました。

しかしそれは父の過度な期待に基づく出資という側面が隠れていたのです。

出資は、和解のための善意に見えますが、実はリターンを期待するヤクザ的な投資の一面が大きかったのです。
それを知らず、普通の人なら受け取らない金を受け取ってしまったのです。

意外な父の申し出に私の父への怒りは収まり、逆に父への崇拝、カルト的な信仰の対象になりました。

そして自分の計画を曲げてまで父の言う通りの事業計画を進めたのです。とても利益の出る計画ではありません。

馬鹿な私でも分かる愚かな計画。しかし父の計画。自分の中でも矛盾し、混乱しました。

それでも父を崇拝し「洗脳」された状態ではそうした矛盾の中でも「正当化」する心理が働いたのです。

人生破滅の道を歩み始めました。

ベンゾをのんでいたことがそうした父からの洗脳の度合いをより深まりました。

また通常の薬物による思考力低下、判断力低下も
自分を見失わせた大きな要因の一つです。
またベンゾ作用によって
易怒性が増して人とトラブルばかり起こしていました。

しかしこれはベンゾだけでなく、明らかに父から洗脳され夜郎自大な言動をとっていたことに洗脳されたという側面も見逃せません。
ベンゾをのんでいたので余計にそうした夜郎自大な言動が酷くなったとも言えます。

機能不全家族ACで育つと、最初は父への反発を秘めながらも、今度はそうした父から過保護にされる毒父に洗脳され崇拝する。
アメとムチを使い分けられ隷従させられたといっていい。

これは私が父の本質=支配欲を見抜けなかったことにも原因があります。
そもそも父は自分の息子を犬か猫のようにしか思っていません。

子を「役に立つ動物かどうか?」食事をよく「エサ」と言っていたから、動物扱いされていたのでしょう。
当時は父のこうした表現を冗談として聴いていましたが、過保護にされたあげく、
あっさりと切り捨てられた2015年からの毒父の言動をみると動物扱いされていたのです。

所詮息子は犬猫扱いなのです。エサをやれば鵜飼いの鵜のように魚を加えて戻ってくるはず、つまりリターンを求めていた。

それがなされなかったから「用済み」なのです。毒父は子を飼い殺しにして捨てる行為を「俺は怖い奴」と美化している。

自分の責任などないことにしている。不利な証拠が見つかるのをおそれて証拠隠滅にかかる。

完全に自分の非を認めながらも、自分の不利になると責任転嫁。それどころか「裏切られた」と被害者面をする。

そしてこうした父の本質を見抜けず、悪いことに幼児退行を促す物質である向精神薬を治療薬と盲信し服用する
ことで現実逃避の深みにはまりました。

2015年にベンゾを大幅に減らし、その後、実質断薬状態。年々クスリが抜けてきました。

が、筋肉も同時に減りました。

筋肉という肉体の損失、貯金という資金が減ったところの生活苦。孤立。

さらにまた汚名を着せられ捨てられたのです。

「失敗した人生で思うのは、少年期」

今、反省しているのは、90年代初め、18歳の頃に父から離れ独立すべきでした。

普通は親元を離れる年齢です。

しかし自分はそうしなかった。理由は父が単身赴任で家を離れることになったからです。

父のいない家庭、学生生活、家にお金はありました。自由でした。

しかし毒父でも抑止力だった父の単身赴任の不在をいいことに、

弟が非行に走り、父の代わりの暴君となったのです。

再び機能不全家族になりました。

「父の代わりに家庭を考え、国家を考えるようになった20代」

20代前半、学生時代。単身赴任で不在の父の代わりをするうちに戦後民主主義を否定するようになりました。

今で言うところの保守、ネトウヨになったのです。

90年代初頭の20代ですから、インターネットもなにもない頃です。

「なぜ父はフシダラなのか?」「弟は兄を兄とも思わない無礼を働くのか?」

法律は青少年保護法や人権屋という左翼が非行少年の味方をする。
90年代の日本には良識はありませんでした。

そこで日本の良さを自分で調べることにしました。

伝統、文化、近代日本と家族、国民精神を
歴史的に根源的に考えました。それまでリベラルな考えで
大学受験まで成功した私は一気に戦後民主主義を否定するようになりました。

そうした本を目録で探しては取り寄せ読み漁りました。

戦前の日本に家庭の平和、家の秩序、美を見出しました。

祖父の代=日本兵だった祖父の代の秩序のとれた行動、暴言を吐かない胆力が大きく影響しています。

修身。教育勅語で育った祖父の慈愛と謙虚さ。日本人がおおらかだった頃の時代に憧れたのです。

兄に暴言を吐いたり、子供を動物扱いしない祖父の代へのあこがれ(実際はどうだったか分かりませんが・・・)
少なくとも戦後民主主義は醜く、戦前が良い時代。長男には良い時代だった。
その時代の価値観に家族、「イエ」を回復するカギがあると

考えたのです。(今の保守ブームも実は「イエ」制度の回帰欲求からかもしれません)

私の保守思想の原点は20代の90年代の頃に始まりました。調べていくうちに戦後日本を汚染した思想的根源には、
東京裁判史観やWGIPの存在が得深く影響していることを知り、
それがまた間違っていることがわかったので今も持論は変わりません。

ただ30代にそうした保守の裏に反日カルト宗教の背景があることを知り、
混乱し、幻滅しました。180度変節してマルクス主義(の片りん)を学ぶようになりました。

保守から外れた思想的なブレがありますが、
今も歴史観や戦後民主義に批判的な考えを持っていることには変わりません。


「途中まで役立った保守思想と歴史観の知識」

90年代に父を批判するために学んだ保守思想の知識と歴史観が意外にも毒父に好評だったのです。

そこから2000年代、30代に大金をもらうことができたとも言えます。

そうしている内に父を崇拝し、間違っていても信じるという洗脳を受けることになったのです

。ベンゾをのんでいた時とちょうど重なるので薬物の影響もかなりあるでしょう。薬物洗脳です。

しかし全ては幻想と薬物依存のな中での妄想でした。

薬物が抜け、筋肉が削げ落ち始めた
2015年、40代になり父から捨てられようやく気付いたのです。

40代崩れゆく肉体と研ぎ澄まされる精神の中でしばらく自分探しで20代保守思想回帰をやりました。

が、それでも精神の動揺は、解決しない。

「冷戦思考、左右を超越して機能不全家族ACの概念に着目」

40代後半の今は、ウヨ、サヨあまり関係なく機能不全家族 アダルトチルドレン問題を考えるようになりました。

ACは何も戦後の特殊現象ではありません。戦前からもあったでしょう。

実は経済の問題かもしれない、というアプローチもしています。

「子に経済的自立の大切さを教えよ」

経済的自立、独立を教える。子供に不自由させたくないから過保護にしたり、(特に長男へ)
社会人になる、大卒新卒で就職する道を言葉巧みに閉ざすという行為は子供だけでなく、

結果的に父や母にも悪い影響を与えるのです。

結局親は子が15歳か16歳になれば、子供の人格を認め、経済的自立を支援する教育をすれば、
過保護になることはありません。

そして過保護の反対に「裏切られた」と被害者面して
嘆くこともないのです。

なぜそれを親はしなかったのか?親のエゴです。不見識です。

仮に10代、20代で経済的に自立、独立させると、親たちは自らの威厳、
偉そうにしたいという欲求、「支配欲」を
満たせなくなるからです。

つまり親は自らのエゴで子供の自立を阻み、挙句に病人の子供、アダルトチルドレンに貶めたのです。

そうして取り返しのつかない状況になって自らの老いを迎えているのです。

つまり毒親は自業自得なのです。そのトバッチリをくらった子供はミスリードされたものだから、

たまったものではありません。

こうした毒親は彼らが40代の頃、「自分たちは永遠に若い、年をとらない」

という錯覚に基づくオゴリが見え隠れしていました。

自分の親の代の兵隊世代を馬鹿にして金を持っていた。
永遠の若さと錯覚し、カネと権力闘争に明け暮れた。そして
  祖父世代を馬鹿にし日本の謙遜する文化を破壊した。

そして子供を支配する団塊世代の親たち。

「彼らの時代背景」

昭和20年敗戦後のGHQによる戦前日本の占領と否定。

そしてその後の高度経済成長=ただの戦後復興経済、80年代バブル経済。

占領軍に魂を抜かれ、道徳的教育のない人間が社会人になり、

小金を持ち家庭を築いた。経済繁栄を全て自分の実力と勘違いするモンスターたちが出てきた。

毒親、機能不全家族の時代背景も忘れてはならない要素です。

こうした時代の中で医療界では、団塊世代の医者たちがベンゾを金儲け主義でばら撒いてきた。

戦後民主主義、毒親、AC、ベンゾ、向精神薬 すべて戦後教育とクロスします。

そうした家庭と社会で過ごさざるを得なかった
今の40代、団塊ジュニア世代の気力と体力はいつも制限されてきました。

そして「自己責任」とされています。

今の30代の人達には想像がつかない、冷戦闘争、戦前と戦後の世代間闘争をみてきました。

祖父は日本軍、日本兵、親は敗戦後の新憲法、戦前否定教育。

家の中で毎日デモ、政治騒乱、安保闘争をやられたようなものです。戦前と戦後、自由と放逸のはき違え、
権利と義務、資本主義と共産主義の闘い

つねに考えさせざるを得ない、時代背景で育ちました。(食うや食わずの生活を考えると、ある意味贅沢な時代ですが・・)

「やはりベンゾ系精神薬が諸悪の根源だがその奥にはAC問題」

しかしそれで2000年に精神科にかかりベンゾをのんだのは、より不幸を招きました。障害のまま現在に至ります。

2019年、これからは40代の中高年で障害者という最悪の状態で、お金儲けをしなければなりません。

ここでまた、「なぜもっと経済的自立をしなかったのか?親から妨害された。」と自問が始まるのです。

毒親問題とベンゾ問題が常に私の脳裏に出てきて
思考の無限ループが始まるのです。

捨てるなら、もっと早く若くて元気な頃に捨ててほしかった。
せめて筋肉があり、胃が丈夫な頃に捨ててほしかった。

筋肉が削げ落ち、行動制限と精神の障害がある40代、先はありません。

社会福祉からも虐待されている状況でさらに追い打ちをかけるかのような
毒親からの仕打ち、ネグレクト。

そうした毒父名義の自宅で過ごさざるを得ない屈辱。水道光熱費、管理費、固定資産税は毒父持ち。生殺しです。

恵まれている方だと思われるかもしれませんが、いっそのこと、出ていって絶縁したいです。

ボロボロの体でも問題があっても、福祉の力で生きぬきたい。

毒父から捨てられた今や奇妙な「精神的自由」があります。

「ああこれが自立か」と感じること多いです。どうせなら20代遅くても30代に親を捨てるべきでした。
胃も筋肉も強かったからです。(しかし30代ベンゾで縛られ牧畜化されていましたが・・)

体の痛みと貧窮、障害、毒父からの精神的離脱と自由への道。ベンゾ離脱と後遺症。

困難と矛盾した状況と感情が入り交じっています。

本当にやすらげる日はありません。

最後までお読みいただきありがとうございます

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

ABOUTこの記事をかいた人

近畿在住。単身男性。 向精神薬害で毎日闘病。 精神安定剤(ベンゾゾジアゼピン)依存・離脱・後遺症です。 当ブログは療養記録です。 レキソタン(ブロマゼパム)、セルシン(ジアゼパム)の2種類を 2007年からカクテル処方され、8年長期服用。2015年から大幅な減断薬開始。 その後2015年暮れから副作用・後遺症に陥り現在も療養中です。 悪い事に家族との不仲で、経済的に窮しています。 2017年から「障がい福祉サービス」を受給。 訪問介護、訪問鍼灸施術受けています。 診断は「抑うつ」。ブログで情報発信しています!