GW中の雑感

ゴールデンウィーク中ですね。どうしようもなく過ごしています。
ヘルパー事業所は5月4日まで休み。(本稿書いているのは5月3日)
鍼灸の先生だけが訪問してくださり施術。なんとか孤独を紛らわせています。

一年前、二年前に比べ筋萎縮。すっかり子供のような体型になってしまいました。

過去の後悔、自責。食欲無し。心身共に疲弊しています。ケアマネ=相談支援専門員は事務的で全く役に立ちません。
下らない上司の男の命令を聴いているのでしょう。
福祉はカタギではできません。人間力、器量が問われます。そこを今の30代~40代前半は分かっていない。

学校で教わったことがすべてではない。マスコミで言われていることもすべてではない。

学校、マスコミ、親、これらから離れた自立した読書で考えた人生観こそ必要なのに、彼らはそうした時間を持てなかったようです。
これは私らの目上団塊世代にも言えます。

しっかりとした修身、修養の時間で己と見つめ合い、自由な読書でオリジナルな発想を楽しむ。

こういう時間も発想も持てない人が多く福祉分野でも人間力の無さを発揮され弱者である障害者に負担がかかっています。

今の日本の閉そく感はこうした人間力の低さなんでしょう。

私も人のことはいえませんが、団塊世代とその子(今の30代くらい)の世代に比べれば、まだ歴史認識から
背後にある人間力を考えさせられました。

祖父の代が戦前の教育を人たちですからね。今の日本が本来の日本ではない、といいう意見をよく聞きました。
なので今の人達とはかけ離れた発想をするのです。

これを精神薬さえのんでいなければただの「変わり者」で済まされたいのに、
精神障害枠で扱われる。結局自分の言葉にはなんの影響もない。そいれどころか差別を助長しているおではないか?

と自分の言論活動に疑問に思うこと多いです。

ゴールデンウィークの憂うつ、福祉での待遇不満。そして筋萎縮による体の辛さ、みすぼらしさ。もう自決したい気分に駆られます。

それでもレキソタン5mgで誤魔化す日々。誤魔化しが効く間はこれでいいでしょうが、ここから先は「入院」が現実的かもしれません。

もう身の置き所が無いのです。

これを書いているのは5月3日。投稿は5月4日。ようやくヘルパーさが来てくれる時ですが、障害者は自宅謹慎の身。

業者が休業中ですので、正直、嫌な時期です。でもあと少し。憂さ晴らしに寿司でも頼もうか?と考えるのですが、
胃の調子がそれほど良くない。かつての食欲が全くなくなってしまったのです。

食の楽しみも奪われ、親から実質生命を停止させられています。
これなら15の頃、自立すべきだった、盛んな生命力が親からの自立の衝動を駆り立てていた衝動を思い出すのです。

15の頃も毒父のよって自立を阻まれていた。むしろ受験に成功し、親依存の度合いを深めたのです。

私は勉学や異性あらゆる面で早熟すきたのです。20歳前後では、周りと波長を合わせられなかった。

むしろ軽蔑していたいわゆるヤンキーやDQNの方たちの方が自分の生命と合っていた。

ご批判受けるの承知でこう書きました。案外早熟な人が自立を遅れるという現実に気づきました。

日本は同調圧力社会ですから、中にはそうした早熟者がいわゆる「遅れた人達」に混じっていいるのです。

早熟者は、日本社会では、歴史的にほとんどは精神障害扱いです。親が若すぎその子供も勉学や異性で早熟過ぎ、親や社会から「もう少し待て」と
自立の芽を摘まれてきた現実があることを知っていただきたい。

ベンゾ服用もそうした煮えたぎった中での罠だったのです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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50代男性 2015年(40代の前半)に過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 体力の回復で何とかなると楽観 気楽にいきましょう