後悔しても筋萎縮では志しを立てようがない。

筋萎縮とベンゾの関係性
胸回りの痩せが進行し、みすぼらしい体つきになりました。やはり2015年から筋萎縮はずっと続いています。

食べに食べて体重は10kg以上増えました。
なので骨格と脂肪で普通の体型にみられます。

筋萎縮とベンゾにはやはり相関関係があるようです。

本代に入る前に最近の出来事。

辞職したヘルパーYさんからメールの返事が4月30日にありました。

平成最後の日に連絡してくれたのです。精神的支えだったので、本当に有り難いです。

それでも別れには違いなく、寂しさで一杯です。

ブログ過去記事、昨年、2年前、3年前と読み返しています。
去年の今頃は相談支援専門員のEさんと契約し、腰回りが薄くなるのを感じながらも、レキソタンを増量し、
比較的元気にやっていたのがよくわかります。

2年前の今頃(2017年5月)は役所に駆け込んだ記録が残っています。

3年前の2016年は猛省しながらドクターショッピングとブログやツイッターで外に発信することを本格的に始めた年です。

こうして考えと、精神症状はかなり改善されました。

当ワードプレス・ブログが一年以上続くとは思ってもみませんでした。

ただ今年はもうヘルパーのYさんが抜け、火が落ちたような感覚です。

光熱費の半分も私は負担することになり、

経済困窮、資金面から苦しい日々です。

さて本題、筋萎縮とベンゾについて、
臀部、胸回りの萎縮が進みました。レキソタンは5mgでステイ。

日常生活がかなり困難です。肉体的症状はもちろん、金銭面もまた同時に苦しいです。

正直、もう生活保護を申請したいです。自営で古物やブログで収益といっても「戦略」が必要になります。

この戦略面を考えると、何も見えません。「見込みがない」のです。

戦略的思考の無い毒父で30代半ばに洗脳され、ようやく解除されたのが2015年。

それから自分を徹底的に見つめなおし自分の志しや計画、戦略の大切さを心に描くことが
できたのです。

しかし、悲しいことにベンゾの後遺症による筋萎縮は今も続き、前年、2年前、3年前、
年を追うごとに胸回り、臀部、腰回りの痩せが進行しているのです。

精神や心はベンゾMax利の頃より、かなり前向きで自分の頭で考えることでできるようになった分、
毒父からの洗脳と薬物の怖さを思い知るのです。

後悔してやり直そうにも筋萎縮が進行する中での日常生活には限りがあります。
鍼灸を導入してもまだ浅いハリの打ち方です。まだ様子見なのです。

洗脳解除されてもベンゾ後遺症と減り行く貯金。障害年金も今年更新に成功できるか分かりません。

八方ふさがりの状態の中、資金難と筋萎縮が同時進行しているのです。

とりわけ筋萎縮の症状が目立ち始めました。

過去にレキソタンを増量することで、元気になった記憶がある分、筋肉は戻りませんが、
レキソタンを増やし、苦痛を麻痺、緩和させて日々を暮らすのがいいのかもしれません。

精神や心は悪化するかもしれませんが、もう自分を捨て、麻痺させる領域なのかもしれません。

協力的な福祉人材がいればいいのですが、なぜか私に非協力的な人材ばかり残ります。

福祉以前に人間としてどうなのか?疑問を持つような人材ばかりです。

今いる家は昭和時代の10代から過ごしている家。結局何も成功せず、途中でベンゾ漬けになり
何の志しも戦略もないまま過ごしてきました。

薬物と洗脳があったとはいえ、愚かすぎる人生です。

最後の日を迎えるまで福祉業者と愉快に過ごすという願いも退けられ不毛の日々です。

とにかく不本意、失意。薬物がらみの失敗とはいえ、薬物に逃げるしか解決策が無いようです。

自分の改善点は分かったもののそれを実行できない体力。
ただ無念です。

どこかで自決しなければならない。終わり方、終わらせ方、終わるタイミングも常日頃考えるようになりました。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度を利用し自宅療養中 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 現在断薬5年経過  筋肉もほぼ回復