年末のせわしなさの中で

今年は例年にない寒さですが、胸回りの痩せが進行し
いつもより寒さと不安を感じています。

先行きのことを考えると恐怖そのものです。
束の間の平和をヘルパーさんの来訪で得ています。

ワガママなところもありますが、やはり私の精神支柱になっていることには
変わりありません。

福祉とは精神的な存在。一部の心無いものによる虐待の現実もありますが、
孤立に陥った障がい者にとって必要な社会的存在。

寒い中訪問してくれるヘルパーさんの存在に感謝の念が起こります。

筋肉痩せといってもまだ健常な部類。これまで太りすぎ、
筋肉のつきすぎだったかもしれません。

そう思いたくなるほど痩せが進行しているにも関わらず呼吸筋が正常なのです。

ただ極度に寒い中で息をすると、胸に空気が入り込む感覚が何とも言えません。
これで外出をしたり、外で作業するとなるとゾッとします。

筋萎縮をあるがままに任せておこうとしてもその後に何らか
の労働に耐えられるのか?考えると、

極端に孤立感と恐怖の念に駆られるのです。

もう生活保護しか考えられません。
進退窮まったのです。

朝だけ断食、野菜ジュース・・・焼け石に水ですが、今できる唯一の抵抗。

好転反応が起こり回復に向かうことを夢見るのです。

今年もあと僅かですね。
結局回復しないまま一年を過ごしました。

2015年に倒れてから3年。体は良くなるどころか、
筋萎縮が進行しました。食べても腹回りだけです。
筋肉トレーニングは意味をなしません。
さまざまな栄養療法を試みましたが、今では朝断食と少食に落ち着きました。

胃腸の負担を減らし、全身の細胞活動を良くするするには、
断食が効果的だったのです。

しかし筋萎縮が進行する中の断食ですので、
間違ったダイエット=痩せと周りからとらえられます。

これが案外強く、「もっと食べるよう」注意を受けます。

食事を抜いていたら摂食障害ととられさらなる投薬の対象にされそうで、
この点も警戒が必要です。

医療関係者にはあまり正直にならず適当に答えておいた方が無難です。

しかしこの神経性の筋委縮をどこに相談すべきか悩みます。
一人抱え込むのも辛いだけでどこかに理解者を持っておかなければ
今後ますます不利になる
社会条件で追い詰められます。

こうした中で自分を責め、後悔の念に支配されます。

根源的な解決は治癒ですが、お金の問題も重くのしかかっています。

本当に休息が必要な時にお金儲けをしなければならない。

障害年金だけでは足りません。

もう生活保護です。実質生活保護ですから、すぐにでも申請したい気分です。

中途半端な貯金がそれを遮ります。

保護を受けるにはまだ貯金額が多いのです。世間的には少ない額ですが、
公的保護を断わられる金額です。

最低限のセーフティネットさえ制度のはざまで立ち往生しなければなりません。
これ以上、親にも迷惑をかけたくないのです。

暖かくなるのを、また、待つしかないようです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性 私大経済学部経済学科卒業 経済学士 専攻は古典経済学(アダムスミス、マルクスなど) 若いころから病気がち アルバイトや自営の仕事を転々とする 現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度利用者 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と 過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 薬害を受けてもないことにされるという資本主義社会の 矛盾に気づき社会福祉を受けることでマルクスの資本主義分析に共鳴