病気年齢お金、人間関係

悩みがついません。断薬にこだわらずある程度クスリをのんでいたほうがいいように思えます。

しかしレキソタン単剤が抜けないわけがありません。
時間がかかりますが抜きたいです。

ただその時に後遺症が残る。50代を超えています(生きていたら・・)

体ボロボロでお金もない、痛みと差別偏見だけがある。

こうした中かけているのが「プチ断食」小食です。

甲田療法を少しアレンジして朝断食をして昼一回食べる。気が向けば夕食もとります。

全然空腹感がないので断食している感じがありません。

これを精神疾患ととらえられ抗うつ剤投与の対象にされるかもしれず、その点も悩みがつきます。

それでもこの最近の朝断食と節食で体が軽くなりました。

スイマグという下剤で便通を良く下のも奏功しています。

体がスカスカでも以前より動くことができるのです。

掃除洗濯、軽い散歩。

健康体に近いと思われるでしょう。しかし腹部の違和感と刺すような痛みが時々あります。

まだ爆弾を抱えた状態なのです。

小食とスイマグで宿便をとることで体質が改善すれば、50台を過ぎても何等かの収入源で生きていける可能性も僅かながらあります。

今その僅かな希望にかけています。

痛みを抑えるために食という楽しみさえ奪われ、お金も尽きてくる。
「一体いつからこうなった?」「精神薬で狂っていた?」

限りなく自問自答が続きます。

もう復活はありません。一発逆転もありません。変な夢は見ない方がいいでしょう。
せめて福祉で束の間の幸福を実現させたいのに、

前記事で書いたように現在リストラ中です。

今の福祉メンバーはさぼってばかり。仕事をしません。むしろ村八分にされる有様です。

なぜ福祉からもこのような仕打ちを受けるのか?

悲惨は悲惨を呼ぶのでしょう。どこかで食い止めたいです。
そして好転させたいです。

福祉業者の大幅なリストラ、入れ替え、11月から12月にかけての一か月に及ぶ期間ですので、
どこでどういうトラブルが起こるかわからず、今から不安でもあります。

健康さえ回復すれば周りの環境に左右されず日々を過ごせるのです。

お金の問題もありますが、健康が前提です。

日々尽きることのない苦悩とともに生きています。

障害年金が命の綱。これ以上の安定収入はありまえん。

ところが一年更新。来年どうなるかわからず、福祉業者の力添えも必要です。

この点から今やっている福祉のリストラが吉と出るか凶と出るか」という不安もまた新たに出てくるのです。

多くの人が精神科の軛から抜けない理由がわかりました。苦痛緩和だけでなく経済t系メリット、
福祉への依存があるからです。

しかしそこには完全な自由も尊厳もありません。

今手持ちの財産と時間を使っていかに健常者に近づくか?それも福祉のメリットを利用して

落ちぶれた考えにとらわれています。

とにかく小食、朝断食で胃腸への負担を無くしスイマグで便通をよくする。

こえで少しばかり心身の具合が良くなるのでこれをベースに養生を続けていきます。

10月最後。誰にも相談できない悩みの中、自分の生き方を問いなおす毎日です。

何か自宅で安定収入を得る方法はないものだろうか?都合のいいこと考えています。

体さえ丈夫なら  健康のあり難さを痛感しています。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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50代男性 私大経済学部経済学科卒業 経済学士 専攻は古典経済学(アダムスミス、マルクスなど) 若いころから病気がち アルバイトや自営の仕事を転々とする 現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度利用者 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と 過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 薬害を受けてもないことにされるという資本主義社会の 矛盾に気づき社会福祉を受けることでマルクスの資本主義分析に共鳴