レキソタンはまだ必要 極端な生活と思考を修正してQOL一時的に安定

暑い日が続きます。レキソタンはまだ断薬できないままです。
向精神薬を飲んだことへの後悔がある余り、断薬を急ぎがちです。

しかしこの暑さでは持ちこたえられません。筋委縮はすすみ、
今ではTシャツ一枚でもブカブカになってきました。
かつての屈強だったことの自分の面影はありません。

肉が落ち自分が自分でなくなるような感覚で精神的に滅入ります。食欲皆無のまま。

貯金はどんどん減っています。今年初め障害年金の受給が決まりクレジットカードで散財したのが良くなかったです。

まあ楽しめる間に楽しんでおこうというのは正しいのでクレジットカードそのものは否定しません。
むしろ時間を買うことができるツールと前向きにとらえています。

しかしそれでも使い過ぎの傾向にあります。

解決法は古い弥生会計08に仕訳入力することです。

家計なら簿記3級宇初歩の知識で十分ですので、
クレカ使い過ぎの人は会計ソフトを利用なさることをお勧めします。

会計ソフトの導入で家計を締めクレジットカードで現金を持ち歩くリスクや釣り銭を勘定する手間暇を省き、

決済を自由にする。それを以ってバリアフリーとする。こうした感覚で筋委縮の中の経済活動を続けていきたいです。

世の中には完全肯定と完全否定の両極端な意見があり、自分も極端な性格ですからクレカを否定したかと思えば
肯定して散在する。

昔においてはベンゾジアゼピンを盲信し医者の言われるままに飲み続ける。
今は完全断薬にこだわるあまり、神経質なまで薬の否定をする。

40代後半になり自分の極端な性格を冷静に見つめることができるようになりました。

性格そのものは治らないでしょうが、少し反省する力でバランスをとるようにしたい。

薬にしてもレキソタンを完全否定するのではなく、セルシンを断薬いたのだから今しばらく付き合うくらいでしいでしょう。

「毒」だと言われていますがストレスに対処するのに許容できる範囲ではないでしょうか?

晩酌程度の薬と思えばそれほど罪悪感にとらわれず服用することができます。

問題は判断力の低下や攻撃性が生じないか?ということです。副作用があるということはまだ薬が効いている証拠ですので
良いことなのですが判断を間違い宗教の罠に陥らないか?

という不安が残ります。

減断薬中は心から信頼できる家族や支援者がいないと生活が成り立たないことを身を以って体験しています。

苦しみのあまり自称他害に陥るリスクも減らしたいのでこの夏はレキソタンとともに過ごしたほうがいいのかもしれません。

セルシン(ジアゼパム)が問題でした。セルシン注射があるくらいですから過剰な鎮静に用いられる極めて危険な薬で
筋萎縮の原因だと思っています。
胃酸逆流から始まり、胃がんを思わせるほどの胃の痛みから始まり、
手足の関節、臀部の筋減少、足裏薄化(ペタペタ)

手の弱さ、皮膚の脆弱とこの3年で進行しました。

今は食欲完全に途切れ精神的にも茫然自失です。

心身のバランスをとるために有効なのはやはりレキソタンの再服用しかないでしょう。

レキソタンで済んでいる内はそれでいいのです。

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50代男性 私大経済学部経済学科卒業 経済学士 専攻は古典経済学(アダムスミス、マルクスなど) 若いころから病気がち アルバイトや自営の仕事を転々とする 現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度利用者 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と 過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 薬害を受けてもないことにされるという資本主義社会の 矛盾に気づき社会福祉を受けることでマルクスの資本主義分析に共鳴