ベンゾジアゼピンの離脱は、飲んだ年数かかるといわれています。
通常の離脱(禁断)症状は短くて2週間程度。長くても数か月とされています。
年単位になると遷延性離脱症状、いわゆる後遺症と呼ばれる状態で
私がこれに該当します。
私がベンゾジアゼピンの減薬を本格的にはじめたのは、2015年。
今から3年前です。
主にネット情報を参考に当時服用していたレキソタン(ブロマゼパム)、セルシン(ジアゼパム)
の減薬を医師の主導で開始しました。
本当はその少し前に自己流で減薬していたこともあります。
それでネットで騒がれているような離脱症状は自分には関係ない、まして精神疾患と関係ないと
思い込んでいました。
しかしベンゾジアゼピンの減薬を始めてから、事態は予想をはるかに上回る苦痛を伴いました。
2015年開始時期。まず大量の発汗、胃痛(胃がんを疑うほど)で内科医のドクターショッピング4件。
胃カメラを3回やりました。
小さなポリープができている程度で内科的には問題ないとされました。
それでも冷え性や胃痛、グルグル思考が2015年の間続きました。
セルシン(ジアゼパム)を医師の指導で大幅に減薬していた時期です。
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2015年、グルグル思考と昔聴いた音楽が延々となる症状が続きました。
仕事は休業して家で耐える日々が続きました。ブログで励まされながら、減薬を一人で頑張っていました。
2015年に医師の指導によるセルシン断薬は終了。
セルシン5mg玉⇒2mg玉といきなり3mg減の大幅減少で、医師に「もう少しゆっくり」とお願いしたにも関わらず、
当時ようやくマスコミでベンゾジアゼピンの依存問題が記事になり始めた頃で、
主治医自体が火消しを始めたようです。
医師のやり方に違和感を持ちつつも早くクスリを辞めてしまいたい一心でセルシンを断薬。
残すはレキソタンだけになりました。
ここまで来ると少し急ぎ足だったけど、余裕でベンゾを抜くことができると希望を持っていました。
しかし翌2016年には見事に期待を裏切られました。
治まったはずの胃痛が再開。1月早々に大学病院の内科を受診。胃カメラの予約を入れた2週間期に
救急車を呼ぶはめになりました。
この頃から筋肉減少の症状が出てきて胃痛と食欲不振、筋肉減少が同時並行するという悪夢になりました。
それでも外食をすることができ、最後の名残りばかりと夜、外に出歩いては食事を楽しみました。
そしてその当時の予想は当たり、2016年の7月に大学病院での受診を終えた頃に、大量の発汗。
そして8月には急に汗をかかなくなりました。
2016年の7月から8月にかけて一気に体質が変化しました。丁度季節の変わり目です。
胃炎と筋肉減少が同時に進みました。この時にはもう内科にいく元気がなくなり、自転車に乗るのも月数回
になってしまいました。
そして2016年の10月を最後に自宅で倒れ込みました。
今から思えば、ベンゾジアゼピンの離脱禁断症状による「抑うつ」
極度の「自律神経の乱れ」「内分泌、ホルモンバランスの乱れ」だったと思います。
筋肉減少の原因は今でもわかりませんが、神経とホルモン系統の乱れによるものだと思います。
こうして2016年秋から2017年を迎えました。
そしてこのまま一人での生活はできないと判断し、ちょうど2016年の5月に役所に駆け込み、
福祉ヘルパー派遣を要請しました。
そして2017年6月29日に初ヘルパー。これでほころびた自宅が少しずつ活気が甦りました。
それに呼応して自分の心身にも良い変化が出て認知症のような症状が少しずつ良くなっていきました。
それでも今から思うと薬の離脱症状による胃痛、ノドの違和感(嚥下違和感)
「抑うつ」状態が酷かったです。
自律神経も乱れたままで夏なのにクーラーも入れず寝室でじっと過ごしていました。
洗濯も腕が重くてできない。そして筋肉減少が2017年8月に最高潮に達しALSの覚悟をしたくらいです。
苦しさのあまり2017年9月、秋にレキソタンを増量し、サイレースまで飲むということをしました。
それで一時持ち直しましたが、冬になると、完全に食欲が途切れました。この時はレキソタン減薬で
一日病床で冬の寒さを耐えました。(ケアマネからの心理的なイジメにも耐えながら)
その割に卵を週に20個。10個入り2パックを食べ、水を一日2リットル以上のむなど、
中枢神経の異常を疑いました。とても辛い中でヘルパーさんの協力で少しずつ身の回りを整理し、
社会的にも負担を軽くすべく国民年金の免除申請と同時に障害年金の申請作業をすすめました。
こうした生活環境の改善と社会負担の軽減の努力を頑張りました。
辛い冬も祈るような気持ちで過ごしました。
そして今年3月。障害年金の受給が決まりました。
ヘルパーさんの一人の尽力と障害年金の受給で一気に精神的に楽になりました。
そうしてだんだん薄紙がはがれるように意識が明瞭になり、今日に至ります。
途中、訪問看護師や相談支援専門員(ケアマネ)から好ましくない待遇、イジメを受けましたが
一人理解あるヘルパーさんが支えとなり、受難を乗り越え経済的基盤も整いました。
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「ベンゾ離脱から3年の経過」
2018年6月27日現在。ベンゾジアゼピンの離脱から丁度3年になります。
胃痛は緩和された状態で残っています。筋肉減少は落ち着いてきました。ただし関節のクッションが薄くなり、
以前のような起居動作が困難なままです。
それでも今年は体温が上昇し、手足がポカポカと温かいです。
発汗状態も少しずつ良くなっておりベンゾ減薬からの3年間と比べると今年は回復の兆しがあります。
レキソタンはまだ完全に断薬しきれていませんが、実質的に断薬と言っていいほどクスリに依存することはありません。
飲まない日も多いです。
何より今年の夏はいつもと違う何か、体の力を感じるのです。
これにはヘルパーさんの存在と貯金と障害年金による経済負担の軽減が大きな原因だと思っています。
なにより2015年から3年経過してベンゾジアゼピンの離脱がすすみ、クスリが体内から抜けて神経やホルモンの調整が
整い始めたと実感しています。
これを科学的に証明することはできません。全て主観の領域ですが、ベンゾ離脱3年の状態観察を通して言えることは、
私のように酷い状態でも3年を経過するころには、症状がずいぶん緩和されるということです。
もちろんこれには個人差や社会的基盤、経済力などさまざまな要因が複雑に複合的に絡み合うので一概に言えませんが、
周囲のサポートと経済的安定、安心があれば、向精神薬ベンゾジアゼピンの離脱は比較的穏やかになります。
心理的なサポートも必要ですが、やはり経済基盤の安定とヘルパーさん(介護士)による家事支援という
経済と労働の力が基盤になるのです。
これなくしてどんな祈りも心理相談もあまり役に立ちません。それどころか有害ですらあります。
ベンゾジアゼピンの離脱にはまず「生活の安定」これが絶対条件で次にクスリの危険の認識、そして
家事支援などの労働力が必要となるのです。
この3年を振り返り、意識が明瞭となり、体温が上がってきたことによって向精神薬の依存と離脱がいかに
人間の神経と内分泌を乱すか身を以って体験しました。
多くの方が薬害で苦しまれています。
ベンゾジアゼピンの離脱後遺症問題が少しでも社会的に認知され、
薬害で苦しむ方々へのサポートになることを願っています。
本稿が薬害に苦しむ方の参考になり苦痛を緩和されることを願っています。
ひいては今後日本国からこのような薬の犠牲者が出ないことを願っています。
最後までお読みいただきありがとうございます。
追記)筋肉減少は一息ついたものの、体の諸関節の周りのクッションが減りそれらに伴う腹部の違和感、
ノドのイガイガ感は残ったままです。なるべくストレスを減らし心穏やかに過ごすことで小康状態を保っています。
また経済状況は、負担を軽減し障害基礎年金で少しばかり楽になった程度で、今後のことは全然安心できません。
ただ、2年くらいは余裕が出来たので、この時期を一つの契機ととらえ、回復をはかっています。
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