ベンゾ離脱と梅雨の疲労でダウン

6月下旬梅雨の時期。

空を見上げると曇り空。
福祉ヘルパーの訪問を受けて一年になります。

あっという間の一年でした。福祉受け入れ当時あまり長生きできないという悲観は杞憂に終わったものの
胃の不快感はいまだに残っています。

特に天候不順な6月下旬のこの時期は体の内側からえぐられるような辛さがあります。

休眠会社の整理作業(登記には残しています。商号変更しました。休業のまま個人事業を考えています)

、家事など昨年の不調のころどれ一つできなかったことが今できるように
なりました。

しかし体力が低下したまま。知力は昔の経験則で何とか凌いでいる状態です。

このまま筋肉減少が進行するのか?まだ不安から抜けきれていません。

ベンゾジゼピン系ブロマゼパム商品名レキソタン
 同系ジアゼパム)商品名セルシンの離脱、後遺症と断定できます。

ただの栄養失調や疲労でこのような筋肉の痩せ方をするわけがありません。

やはり脳に作用するクスリの影響が出ているのです。

唯一の楽しみの食事もままならない。

気まぐれに断薬と服用の繰り返しでキンドリングを起こしています。
この二日間断薬しています。

「もう薬に支配されたくない」、「クスリに支配されていた過去を克服したい!」
この強い一念が私の意地となり周囲からの「薬をのめ」というアドバイスにもどこか否定的になるのです。

栄養療法、ヘルパーさんとの会話療法。意識を取り戻したので精神面での治癒には奏功しました。
しかしやはりいつも書いている筋肉減少と胃とノドの不快感は継続しています。

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今年半期を振り返ると、春先少し調子がよくなって

外出や家事の量が増えました。それに伴い忘れかけていた休業会社の事務作業にも
取り組むことができるようになりました。

しかし今となっては、この時に張りきりすぎた疲労の
蓄積でまた筋肉の痛みとなって現れているのです。

思考はまた一周し、大人しくレキソタンを服用したほうがいいかもしれません。

クスリとの決別への強い意志も痛みと疲労の前には脆くなるのです。

一体いつになれば安息の日が来るのか?不安と絶望がよぎります。

しかし、それでもどこか楽天的に個人事業で稼いでヘルパーさんと移動支援で気分転換したいという

願望もあります。

朽ちた体と絶不調な胃を抱え福祉ヘルパーさんとの交流が今の私の生きがい、
存在証明になりつつあります。

お金はとても大切なものだと弱りきった体になってようやく理解しました。
それまでお金は何とかなるという根拠のない自信がありました。

これはベンゾジアゼピンの多幸感から来る現実認識の低下、つまり判断力の低下によるものです。

つまりクスリによって人生の大切な時期に重要な判断を誤り続けた結果がベンゾ離脱と後遺症とともに
発生しているのです。

クスリの副作用と愚かな人生の判断に気づくのは体がボロボロになったとき。

だからこそ精神科のクスリは飲んではならないということを身を以って理解しています。

あまりにも遅すぎる後悔。せめて余生を自分に忠実に生きたい。

これまで多くのチャンスとお金そして筋力に恵まれながら自分のための人生を歩んでいなかった。

今のようなボロボロの体になって思い知らされある種の諦念、「悟り」の境地になるのです。

皮肉なことに体がボロボロになった今こそ人生における大切なことが何かを発見しました。

それは普通に食事を摂り家族や仲間と一緒に過ごすということです。

余計な知識や知恵はいらないのです。

無心になる。怒りの感情はほとんど無意味である。

本当に怒るときなど人生において数えるほどです。

怒りやすかった若い時、下らないことに怒って反応していた愚かさを今になって痛感しています。

少しでいいから健常だったころの筋肉と胃の働きを取り戻したい。

このような思いばかりが後悔とともによぎります。

見栄ほど下らないものはない。「身の丈」を大切にする。

こうしたことを守るだけで現代社会に張り巡らされている向精神薬の罠を回避することができるのです。

ベンゾジアゼピン向精神薬にさえ手を出さなければ、少なくとも食事を楽しむことができた・・

それすら奪われ辛い日々を過ごしている。

罪悪感に似た感情と後悔が交錯します。

若くもない。「どこで道を間違ったのか?」自問自答。

このような無限の思考ループこそまだ病んでいる証なのですが、

実はこれはクスリが抜けていっている症状とも考えられます。

肉体的には辛い。しかし精神的には開眼することもあり、痛みの中でどこか清々しい感情もあります。

今の状態を何と言って説明していいかわかりませせん。

とにかく痛みと違和感に耐えんがら自分に忠実に生きる。こうした心の芯を保ちながら

できることをしていくしかありません。

当面は愚かな休業法人の休眠作業です。法人は登記上残しておきながら、
個人事業を届ける。

業種は文筆業 今はブログです。ええ利益の追求もしています。
思いの丈も商品と割り切る。

まだ収益はほとんどありません。しかしこうして自分の生き方を
事業を通して定めていくことで愚かな過去と決別し、それによって
精神に幾分か良い影響をもたらすと見越しています。

人間関係の疲れも多少あります。

しかしここは障害者としての権利を主張し甘えさせてもらいます。

他人から非難されても今の自分に必要なのは福祉の力。合法的に淡々と権利を主張し、
自らを高める手段としています。ドライで厚かましいですが、私の厚かましさと開き直りは、
確信犯で人を不幸に陥れている精神科医や製薬会社、医療関係者、宗教団体に比べれば児戯に等しい。

彼らは人を犠牲にして利益を得て社会的地位まで築いている。
彼らの言い分は「合法でしょ?何か文句ある?」

これです。

だったらこっちも法律を武器に権利を行使して何が悪いのですか?

先に仕掛けてきたのはどっちですか?

こちらは合法的に権利を主張し、あなた方の裏の意図を見抜いている。

心身をクスリで痛めつけられた弱者相手に集団で威圧するしかないのですか?

あるいは罪をでっち上げて冤罪を目論んでいるのですか?

もう何もできませんよ。体力とお金が続く限り私は闘い続けますよ。

長く続く病気。少しは前向きなことを書きたいと思いながらもどうしてもネガティブな内容に陥ってしまいます。

6月下旬、梅雨で曇り空が続くためか、はたまたベンゾが体から抜けていっているのかわかりませんが

心身のバランスを崩しています。

何が正義がわかりません。何が正しいのかもわからなくなってきました。

それでもどこか達観している自分がいます。

いつか希望と活力に満ちた日を取り戻すことを信じて耐えるしかないようです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性 私大経済学部卒業  若いころから病気がち アルバイトや自営の仕事を転々とする 現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度利用者 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と 過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 薬害を受けてもないことにされるという資本主義社会の 矛盾に気づき社会福祉を受けることでマルクスの資本主義分析に共鳴