気の力 精神の力

体は朽ちようと

体の内部から筋膜が薄くなるような気がしています。
あえて「気がする」「感覚がする」という表現を
使っていますが、本当に何らかの形で
「薄くなっている」のがわかります。

人体の不思議なところは、こうした体であっても
、人に会うことで元気をもらえるということです。

ヘルパーさんの定期訪問でずいぶん安心感が出て以前に比べ動けるようになりました。

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今春から部屋の大掃除、水回りの拭き掃除など去年より機能的で衛生的な空間になりました。

これでまた精神状態が少しばかり良くなっています。

体は朽ち、筋膜は薄くなっているにも関わらず、にです。

しかしこのような症状を看護師など医療関係者、コメディカル達にいうと信じてもらえません。それどころか
別の精神疾患と思われるのがオチで一人考え、理解あるヘルパーさんに少し話すにとどまっています。

「改善策はあるのか?」「いつになったら自由になるのか?」

このような考えばかり浮かびます。

ベンゾジアゼピンというクスリに長期依存し、今はほとんどのまずになりましたが、
2015年に禁断離脱症状が出てから3年経ちました。

最初の頃のような胃がひっくり返るような胃酸の逆流などの症状は消失しました。

胃痛は慢性化するものの、今や痛みは「点」に変わりました。

胸回りや肩回りはすっかり痩せてしまいまい、「胃痛が点で残っている」という状態です。
ノドの違和感も少し残っています。

近医苦は薄くなっても、全体的に痛みが緩和している方向に進んでいるといえます。

ただ以前のような空腹感や筋肉の弾力がありません。

6月現在、こうした肉体的な矛盾と苦悩を抱えています。

「精神の肉体に及ぼす作用」

福祉ヘルパーさんの助けを得ることによって、筋肉の痩せが進んでいるにも関わらず、家事ができるようになりました。
それだけでなく各種手続きもできるようになりました。これは「理解ある」
ヘルパーさんとの交流、存在感が力になっているからです。

つまり人の「気」というものが伝わり、肉体が動くようになったということです。

精神論や根性論は嫌いですが、今の状態は「気」の存在、気力の存在を肯定せざるを得ません。

今の不調が、もしベンゾジアゼピンによる中枢神経の故障(レセプターの故障)が原因だとしても、

「人の気力」をもらい続けることで元気になる。
完全に肉体は治らなくても気力は回復し、意識は明瞭となる。

こういうヒーリングが少しばかりの怪しさがあるとはいえ存在するのではないでしょうか。

昔から伝わる信仰の力というのは、まさに理解ある人からの言葉やその人の存在そのものだと発見しつつあります。

「信仰心で体が良くなる」というのは「インチキ教団」がよく使う手段ですが
、信仰心や信頼感が治癒に影響を
もたらすというのは事実なようです。

「深い信仰心と信頼感から来る安心感によって分離しがちな心と体の統一をなし病を治す」
というのはあながちウソではなく
「何らかの形で科学的な心理ではなかろうか?」と精神的な覚醒を持つに至りました。

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特に向精神薬という薬においては、
その禁断離脱症状を克服するには、深い絆で助け合う家族や協力者の存在が必要になります。

しかし現代日本においては、家庭崩壊、資本主義における打算的な人間関係が横行しています。

そこにこれまた資本主義の権化である「精神科医」の罠が張りまぐされており、
依存させられたモノにとってクスリを抜くということは極めて困難な状態です。

今の日本社会が病人や障害者にとてつもなく
冷酷にできていることを身を以って体験しています。

しかし、だからこそ、「社会福祉」を徹底的に活用するのです。

「福祉」というと「胡散臭い」、「偽善」、「貧困ビジネスで危険」などといった
ネガティブなイメージが付きまとい、事実そのような側面があるのは事実ですが、

本当に困り、助けを求めれば、答えてくれる制度の一環でもあります。

福祉制度に問題があるとはいえ、私は社会福祉制度(障害年金含む)
を使うことで精神的に立ち直り、
家事を再開するほど元気になってきたことをここに報告します。

後は肉体症状です。

精神状態がh熟柿を活用し、前を向き始めました。それを原動力に家事がはかどり家が整いはじめました。
しかし肉体の不調は慢性化しており、痛みは点に変わったものの、
依然として内臓の運動が鈍いままです。
いわゆる機能性ディスペプシア(FD)の状態でその診断も変わらずです。

機能性ディスペプシア(FD)には、有効な薬、治療法はなく、ひたすら耐えるしかありません。

当然一人では耐えることは難しく、定期的に訪問してくれるヘルパーさんと話すことで、
心身(胃腸)の機能が少しずつ向上していくと信じています。

栄養や運動療法といった各種療法も大切ですが、
治療の基本は人の存在、気、人気(じんき、にんき)にあります。

裏を返せば孤独や一人で食事をする孤食は精神的に非常に良くなく、
免疫や内分泌系統をズタズタに破壊するものだと気づきました。

「孤食の時間を減らしたい」

孤独、孤立が精神、神経、内分泌に悪影響を及ぼすことがわかりました。

ヘルパーさんの定期訪問でこれらの点が少し改善し
前向きになってきたものの、やはり食事は一人でとるいわゆる「孤食の時間」が多いです。

この孤食という状況を減らし、誰かと食事を摂ることが日常となれば、
心身の治癒はかなり早い速度で進むと推測しています。

会食をする。月並みな方法ですが、誰かと食事をとることの重要性を
この年で自覚し始めました。

もともと一人孤独に内省的な思想を持つ性格でした。しかし家族との食事は
欠かしたことがないほど会食を重視していたにも
関わらず、この10年、仕事や間違った精神論から食事を一人でとることが日常と化していいました。

悪いことに孤食からから来る不安と不満をベンゾジアゼピンなど
の向精神薬で誤魔化していたのですから、
まさに自滅行為、「墓穴を掘っていた」状態だったのです。

そのような間違いに全力で突き進んでいたものですから、
大局的な判断を間違い通常の胃炎や胃痛だけでなく、
家族からも見限られるという最悪の状態に陥っていたのです。

このような状況から救ってくれたのが、これまた福祉です。

最初は抵抗があり、他人に家をみられるという屈辱感がありましたが、
病気と障害で見栄も所有欲もほとんどなくなってしまった当時の自分にとって

心おきなく(忌憚なく)人と話せる機会はとてもあり難くい存在でした。

ヘルパーさんと限られたわずかな時間に自宅の食卓で話し合うことで
人間は本質的なところではみな同じだと気づきました。
さらに、これまでの
過度な競争や見栄の張り合いがバカらしく思えました。

福祉を受けて体が一番最悪な状況で一番良い人間関係を気づけた!
何という皮肉でしょう。

もし元気な時に今のように己をさらし、弱い自分を認め、
傲慢さが少なければ精神薬に手を出さず、
多くの人生のチャンスを活かせていたでしょう。

昔から日本人の美徳であった謙譲の精神、謙虚さ、礼節」
といった徳目が実は単なる観念論や精神論ではなく実は合理的で科学的な
社会生活の潤滑油、方法であることに気づかされました。

昔の人はこういった精神を幼少の頃から「修身」という時間でこの
ような徳目を身につけていたと考えています。

だから祖父たちの代は強かったのです。

しかし父の代はそのような修身教育は廃止されており、
大声で制すといった野蛮なものでした。

その時々の強いものに媚びへつらうという精神構造を持つものが金と権力を持つに至ったのです。

こうした野蛮な父の代が趨勢を極め、戦後社会の乱れにつながっていると思います。

だからといって道徳を強要しようと思いません。
まず経済基盤です。経済が整わなければ何もできません。

経済土台が整えば礼節など徳目を大切にする。
つまり「衣食足りて礼節を知る」という格言にいきつくのです。
これは社会だけでなく個人の徳目として意識しておきたい観念です。

私の書いたことは当然のことで「今さら何を・・」と思われるかもしれませんが、
こうした普通の思考ができず、ただ弱いものをイジメるという精神構造と社会構造が日
本人の精神構造の

中枢をなしているのです。
その差別心と歪んだ選民思想の筆頭が「精神科医」です。
その存在と精神医療という利権構造が野蛮な日本社会に拍車をかけているのです。

そもそも今の化学物質汚染や精神医療の跳梁跋扈は、戦後日本人の精神構造の歪みと間違った
道徳観念の反映、象徴といっても過言ではありません。

こうした現状の中では、まず身近な人や福祉を活用して、人間との交流、社会性を築き直すことが、

精神薬の離脱禁断症状の克服と薬害後遺症の緩和にとってとても大切なことだと確信しています。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度を利用し自宅療養中 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 現在断薬5年経過  筋肉もほぼ回復