精神科の目的は政治です 精神科医の思考をスキャン

精神科の目的は患者を鎮静することです

精神科・・・病院ではありません。治療ではありません。
目の前にいる「異常者」(精神科医の思う)を大人しくして
鎮静を目的とした政治組織です。

ですので患者に依存性と毒性の高いベンゾジアゼピンやSSRIといったクスリを治療と称して
のませるのです。

もちろん詐欺ですが、その背後には異常者を排除して治安を保つという「政治目的」

があることを忘れてはなりません。

日本にはお医者様信仰、お薬信仰があるので、この点をいくら強調しても
私の思いなど伝わりません。まして障害者という社会的存在ならなおさらです。

精神疾患をカミングアウトしただけで多くの人がひきます。
中には物凄い偏見を持っているものもいて、差別につながっています。

私はもともと精神科に差別心などありませんでした。

それが仇となったようです。そこで信じて飲んでいたクスリは脳をいじって大人しくさせる
鎮静化目的だったのです。

確かに肩こりや不眠に効能があります。今でも高齢者の受診者が多くなりました。
睡眠薬をもらうためでしょう。

65歳以上の高齢者の方々は精神薬をのみ続けても障害者になることなくその一生を終えるでしょう。

問題は私のように青年期からベンゾを服用し、その副作用と後遺症で障害者になってしまった者です。

全身にかけての違和感、不快感そして筋肉減少と萎縮は誰にも説明したい苦痛と苦悩をもたらします。

そうした身体的苦痛や機能障害が「身体障害」として認められるわけもなく、

仕方なく「精神障害」の枠で「障害」を認めてもらうしかないのです。

誰も好き好んで障害者にはなりません。

いくら障害者の利権があろうとも金銭的に微々たるもの。福祉関係者も本当に献身的な人は僅かで
障害者自信の創意工夫と負担が求められるのです。

クスリを減らし精神科の鎮静から覚めつつあるなか多くの時間を失った悔しさと、機能障害ゆえの
福祉を受けことに大きな違和感を持つこともあります。

助けになっていることは確かです。

しかし時折自分の不遇を呪うのです。

食べても美味しくない、ゆっくり風に当たることもできない。

常に体の違和感と失われた時間の虚無感が全身を覆うのです。

精神科に癒しを求めてはいけない

]

これは私が18年精神科に通院してベンゾジアゼピンを服用した経験から断言できることです。

肩こりと不眠を治すために飲んだクスリはただ脳の興奮を鎮め、本来の意識や思考を抑制するだけ
のものでした。

動きは鈍くなり、怒りやすくなり、親や他人に非常に依存的になるといいう

幼児退行現象をもたらしました。

それでも20代知的に訓練をした経験で30代を薬漬けにされながら自分を保ち一人暮らしを可能にしていました。

しかし総じてみれば全体をみて判断するとう思考作用が著しく低下し、局所的、部分的にしか物事が見えず、

自分が不利な方向に進んでいることにも気づかず、失敗と敗北の連続を重ねてきました。

それをまたクスリで誤魔化すというのですから、まさにアリ地獄。

精神科医にとって患者をクスリ漬けにし行動を制限することで治安維持をしているつもりだったのでしょう。

精神科医の思考が今わかるようになって非常に悔しい思いです。

意地で断薬したセルシン、減薬して残り一錠のレキソタン。最大量の一日30mgで薬漬けにされていた時期を
思えばずいぶんクスリが減り、心と体が楽になりました。

ただ体には多くの後遺症と障害が残っておりその苦痛がありますが、
「クスリの体への負担」が無くなったことは確かでこれは喜ぶべきでしょう。

クスリを減らしても健康とは程遠い状態です。

なので一日を何となく過ごしている感じです。

せめてブログとネット物販で収益をあげることに生産性を見出しています。

40代後半・・・いい年になりました。 ベンゾをのんだのは20代後半ですから20年近く向精神薬の罠にはまっていたのです。

過去には戻れない、前に進むしかない。しかしこの体ではほとんど何もできない。

ただ福祉サービスを活用しながら自分でできることと社会参加を少しでも増やすということです。

全て薬をのむ前できていたことです。

私はクスリをのむ前から変わり者でおかしかったでしょうが、だからといって投薬の対象ではなく

もしクスリをのんでいなければ友人や知人と普通に社会生活と遊びができていたでしょう。

何もかも奪われました。ただ何が重要で親の恩がわかるのです。

子供に大切なことを教えず人生のバクチの対象にした父への恨みはありませす。

それでも明らかに息子を不利な方向に導き、自我を見たそうとした父の身勝手さには今でも憤りを覚えます。

親への恩と恨みという矛盾した感情も日々の生活を苦しいものにします。

自分の立ち位置 ポジションがわかりません。福祉サービスでわずかながら理解者を得たと
しても世間からの偏見と差別は圧倒的でその苦しさからまた精神科医とクスリに戻ろうとする自分がいることも 
確かです。

何とかこの「矛盾」から脱却したい。

自己回復力を信じるのみです。
1)精神科医を信じない

2)精神薬をのまない

3)精神薬をのんでも早めに断薬する

最後までお読みいただきありがとうございます。

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性 私大経済学部卒業  若いころから病気がち アルバイトや自営の仕事を転々とする 現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度利用者 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と 過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 薬害を受けてもないことにされるという資本主義社会の 矛盾に気づき社会福祉を受けることでマルクスの資本主義分析に共鳴