散歩しながら人生を振り返りました

ここ数日小春日和が続いて暖かいので夕方海辺を歩くようになりました。その時ふと気づいたのは、「自分はもう薬を抜いた、まっさらな頭で歩いている!9年前に離脱で痩せこけ倒れた時は散歩にふと出かけるなんて、夢のまた夢だった。それが今、実現している」と。

衰弱し倒れた頃は本当につらく生き地獄でした。しかしそこから回復して散歩するだけでも達成感、成功感を味わるのです。人から見れば不幸な人生でも、自分から見れば、ベンゾを断薬して生きて歩いていることそのものが「立派な成功」なのです。

反対に若い頃、くだらないことで悩んでは、薬をのみ脱抑制で多くのチャンスや時間を失ったことを悔やみました。そして気づきました。自分にとって必要なものはほんの少し、それは
1)普通に寝て起きて食べること 
2)無理のない仕事をする(or何か学ぶ)
3)たまに外を歩いて軽い筋トレを日課にする。
4)余った時間は語学をやる。
5)交友関係は必要以上に持たない。なるべく他人に依存しない

普通のことばかりですが、だいたいこれくらいを守れば自分らしさと健康を保てるのです。もちろんベンゾなどの薬はやらない前提です。全て一人でできることなのです。

あとはだいたい見栄や虚栄で実は何の意味もないことか有害なことでした。世間的な出世や成功などだいたい身の丈に合っていないことかないものねだりです。自分のできることから少しずつやり続けるという地道さがどの分野でも必要です。

「自分は本当は何をやりたいのか?何が好きで情熱を感じられるのか?」を常に自分に問い続け自分に忠実になる。こうした自分への問いかけ無しに目先の欲や見栄で自分を忘れていれば、「そりゃ薬に依存するわ」と猛烈に反省しました。

薬は確かに悪いし、それを出した医者も悪いのですが、「そうした薬に手を出す自分の甘さやスキはなかったのか?」という視点を持つべきです。だいたい自分にも非があるのです。これは自虐とか自己否定ではありません。虚心坦懐に自分を見つめる内省です。

こうした思考無しに近道をしたり地道に続けるとこを嫌がっていては人生何の進歩も無いし精神薬といったドラッグで気軽に楽になろうとしドツボにハマるのです。今はかなり年をとってしましましたが、残りの人生、かっこ悪くてもできることから地道にコツコツと生きていきたいです。



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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度を利用し自宅療養中 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 現在断薬5年経過  筋肉もほぼ回復