南近畿の自宅へ帰宅

ようやく帰宅日。2019年5月26日。滞在7日目の朝。いつものように両親の顔色を伺った。

こちらの「もう2度と来ない。やるべきこと、祖父の墓参りはやった、当分
帰らずに親から離脱する」こう秘かに誓いました。

しかしそういう思いを父から見透かされていたように、

帰宅前夜の5月25日の夜は焼酎や刺身でもてなされました。こちらに話も合わせてくれました。

それに今日は父の母への叱責はない。

「どういう風の吹き回し?」父の真意を勘ぐりながらも
父の製薬会社のMR時代の接待術にハマってしまいました。

私への事業出資の罪は許されているようです(表面上は・・)。

しかし時間は戻りません。

父の母への気狂いのような
叱責も時折あります。

それにしても帰宅前夜の「持て成し」が実に奇妙でした。

これは「私の滞在ストレスからの解放の喜びを意味している」と父の心理分析をしています。

そして私への接待は、父自身の、自分のための介護要員(労働力)の確保のための「餌付け」にも思えます。

とにかく父の急な変わりよう特に私への態度の急変は裏の計算があるに違いなく、油断なりません。

それでも南近畿の帰宅前夜の平和的家庭の空気は久々でしたので、それなりにうれしかったです。

そうした夕食を終えた翌日の朝、(5月26日(日曜日)の朝、)
南近畿への自宅に帰る準備を入念にしました。

その時にも驚いたのは、何と父が1万円入った封筒を「〇〇へ」父より」と書いて階段に置いていたことです。

父もお金に困っているのに受け取るわけにはいかない。
しかし断れず礼を言い現金1万円を財布にしまい込みました。


「母に対する怒声と私への接待・・」

母に対する怒声が辛く二度と父のいる郷里へは帰りたくないと思っていた矢先の父の厚意。

父の裏の計算、何等かの思惑があるのは分かっています。

これまでそうして人生の転機で私は自立・独立を阻まれアダルトチャイルドの
人生を余儀なくされたのです。

アラフィフからの完全自立に向け決意を固めたばかりの父のこうした
酒や刺身、現金での接待攻勢・・・

悪い気にはならなりません、むしろ有り難いことです。

が、やはりどこか腑に落ちない怖さがあります。

帰宅直前の午前中はそんなことを考えながら準備を続けていました。

そして「今もらえるものは有り難くいただいて、
南近畿の自宅で自分の体力と経済力を増す。そうして父から距離を取り、母への支援を遠くからする」

こういう戦略を考え自分を落ち着かせるしかありませんでした。

長いようで短かった北近畿での滞在。6泊7日の旅も終わりです。

旅と言っても4年ぶりに帰った母がたの実家。亡き祖父の実家です。

私にとってまだまだ慰霊の場です。

父にはあまり関わりたくありませんが、

両親は既に住民票を北近畿に移しており、父はすっかり母方の実家の家と村に溶け込んでいます。

父を認めるしかないこをを悟り南近畿の自宅へ帰る準備を急ぎました。

荷物の大半は宅配便で送付。

5月26日午前中に集荷を終え、軽装で帰宅準備が整えました。

午後発の こうのとり14号に乗車。

駅までは父が送ってくれました。

4年前の精神的虐待が始まった時と違って今回は本当に私は許され、頼られている感じがしました。

駅近くで父は弁当に寿司を買ってくれました。4年前には無かったことです。

この点からも私はやはり父から許されていると考えていいでしょう。

しかしこれに無条件に甘んじると、とんでもないことになります。

「修養の精神で自立を目指す」

自主性、自立の精神を保たなければなりません。

このために新渡戸稲造の「修養」やスマイルズの「自助論」
を読んで励みにして持ち歩いているくらいです。

昔の精神訓話を馬鹿にしてはいけない。平静の心がけが大切。

これをおろそかにしたから、自分を見失い、親の甘さが毒になり、
ベンゾに走り、身分不相応な肩書きで悦に入っていたという愚行を犯したのです。

もうそういう主体性無き甘えただけの人生は送りたくありません。

例え今は障害者の身で福祉や親に頼り、収入も制限されようが精神の世界は無限です。

心と魂を磨き続けることが、親の甘さ、毒父の甘さ、計略への防波堤になります。

必要最小限以上の支援は求めないことで品格のある人格に近づくことができます。

帰宅直前のあわただしさの中、父の厚意に甘えつつも、

こうした精神訓話の修養による自立
を常に頭の片隅に置き自分を律していました。

父の援助もあと半年程度でしょう。

もう少し早く修養の精神に目覚め、外的な肩書きや下らない競争に巻き込まれることがないようにしていれば、

今頃もう少しましな人生を送れていたはずです。

今は体力と気力の回復、そして精神修養。父の甘さ=毒が復活したことは、
これまでのネグレクトや暴言に比べてマシですが、
親の甘さは毒となり、自分を誤る危険が多い。

40代後半になるとこれまでの人生経験を生かす最後のチャンスとみています。

ゆえに常に自ら受けた恩に感謝しつつも、それに甘んじない
自立した精神、不可侵の魂を自らの心に涵養したいのです。

「グリーン車を利用」

5月なのに暑い昼間。
特急こうのとり14号。日曜と言うこともあって指定席は全て埋まっていました。

修養の精神とは反対ですが、筋肉衰弱での旅は辛いのでグリーン指定席の切符を購入しました。

偉そうに修養などと言いながらも筋肉減少によるクッション機能低下と内臓の働きの弱さには
疲労負担はなるべく軽くしなければなりません。それに猛暑並みの暑さがありました。

こういう時は甘えではなく、素直に楽を選ぶのが体力の温存に役立ちます。

父との確執、接待攻勢、甘えと自立、障害の現実。

矛盾の連続。常にバランスをとることを考えながら久々の南近畿への自宅に向かいました。

特急に乗ると2時間程度で大阪に到着。

在来線からは、すぐに南近畿への自宅への帰途につきました。

父の母への暴言、母の祖母への暴言・・老老介護問題そして近い将来の親の介護を意識しながらも
今回の6泊7日の北近畿の郷里滞在を終えました。

祖父の慰霊目的を達成で来たので成功に終わったといえます。

体のこと金銭のこと、まだ問題は山積していますが、

福祉業者を利用しながら、自宅でいつもの日常を取り戻していきます。

最後までお読みいただきありがとうございます。

(2019年 5月26日(日曜日)6泊7日の北近畿への旅を終え帰宅した日。自宅のPCでの久々の執筆。

これを2019年6月7日加筆修正しました。

6月8日 追記修正

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性 2015年(40代の前半)に過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 体力の回復で何とかなると楽観 気楽にいきましょう