北近畿滞在録3

5月22日(水曜日)北近畿の郷里滞在3日目。

帰省してから2日目。北近畿の郷里では帰ってから毎朝朝食を食べていました。

両親との関係は比較的良好でしたが22日、介護疲れのストレスから酒を飲んでいた母に絡まれ
それに反論していると、母と私が両方、父から暴言を受けました。

人格を否定するひどい暴言で自宅に引き返そうかと考えるほどでした。

恐れていたことがおこりました。私に落ち度はまったくありません。

90代の寝たきりの祖母のオシメ替えを朝昼晩
両親が担当しているのですが、両親はオシメ交換を

ヘルパーに頼みません。「ヘルパーに頼め」というこちらの忠告にも怒りをあらわにされました。

私は過去の罪を「許された」はずで4年ぶりの帰省をしましたが、両親のいる実家は介護で地獄。

両親を鬼に変えていました。

介護地獄だけでなく農村社会の人間関係ストレスが両親にのしかかります。

これらで父は怒りやすく、母に私に八つ当たりされたのです。

特に母から意味不明な因縁をつけられ、これに私が対処すると

私と母が「言い争い」をしているような状況になります。

そこにストレスのたまった父が「お前ら喧嘩するな、こっちは毎日大変なのに」と
別の次元での八つ当たりをはじめるのです。

気分転換のつもりが実家は介護という現実。

祖母のクソ取りを毎日朝昼晩やっている両親。

老老介護のすさまじい現実の中で日々を送っています。

私は帰省後前半は家事もまったくやっていません。

介護の手伝いもしていません。手伝いに入る余地が無いです。

ヘルパーさえ拒むほど自分たちのペースを守ろうとする両親。

私ができることは、余計なことを言わない、関わらないことによって
両親のペースを守ることだとわかりました。それが両親のストレス緩和になるのです。


「余計なことは言わず」

この田舎に来て学んだのは余計なことは言わない。

両親の生活に干渉しない。それがたとえ手伝いになったとしてもです。

つまり完全にゲストに徹すること。何より肝心なのは余計なことは言わない。沈黙に徹する。

2階の部屋に上がり本を読むかテレビをみておけいいのです。

妙な孝行や手助けはかえって仇になるのです。

話をするときは両親から食事の呼ばれたとき。

その際も自分の主張を抑え「傾聴」に徹する。

これが北近畿の郷里で学んだ生活の知恵なのです。

まあ、楽といえば楽ですが、心身に障害のあるものにとって沈黙と傾聴を守るのは少しつらいものがあります。

しかしこれが両親の望み。

そもそも祖父の墓参りに帰ることが帰省の目的。

帰省前に誓ったこの目的に忠実であろうと再確認させられました。

体の絶不調な中、両親からの理不尽な八つ当たりに耐え忍ばなければならない。

それには傾聴に徹する。

かつて人間関係の本で学んでいたことの意味が困った今になってようやくわかりました。

それでも長期にわたる体の不調と筋肉衰弱の状態で忍従しなければならない。

何かの因果でしょうか?

自らを省みる暮らしを4年ぶりの郷里で過ごしています。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性 私大経済学部経済学科卒業 経済学士 専攻は古典経済学(アダムスミス、マルクスなど) 若いころから病気がち アルバイトや自営の仕事を転々とする 現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度利用者 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と 過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 薬害を受けてもないことにされるという資本主義社会の 矛盾に気づき社会福祉を受けることでマルクスの資本主義分析に共鳴