生きる手がかりを求めて

正月元旦からずっと寒い日が続きます。寒さと同時に食欲が無くなりました。
2019年 平成31年ですが、筆者には全く関係ありません。
暦が変わっただけで月末下月初めという感じです。
ただベンゾ後遺症が進んでいるようで筋萎縮と横隔膜のコワバリに悩んでいます。
そして寒さで希死念慮が増してきました。
目をつぶっていると生命を停止させたい衝動に駆られるのです。

これはヘルパーさんに少し話しているだけでそれほど大げさに言えません。
看護師に話すのは自傷の恐れありと措置入院の危険があります。

寒い今だけの精神症状ならいいのですが、筋萎縮と言った
肉体症状が寒さと連動していることが
考えられ悲観的です。

食欲は生命の象徴ですが、完全になくなり吐き気さえあります。

毎食無理に食べている感じです。
まだ年末アレコレ食べる楽しみが少し残っっていましたが、
正月から全く途絶えたのです。

こうした中で目を閉じていると過去の記憶が甦ります。当時気づかなか
ったことにも気づかされます。
同時になぜ当時気づかなかったのか?激しい後悔の念もわきます。
また同時に生命の停止を意識するのです。

止めようとするナニカが働くのですが、生きています。それで次は自分で止めようと
考えるのです。

危険な状態にあると思いますが、もう楽になりたいという切望も強いのです。
頭はバカになってもいいからレキソタンをのんでふわふわ余生を送った
ほうがいいのかもしれません。

寒さ、筋萎縮、食欲皆無・・・

辛い症状の数々は生命力を低下させ希死念慮を高めます。
出口はありません。
奇跡的な快方を祈るしかないようです。

「本当に死ぬのではないか?」という不安が、しかし、同時に去来します。

希死念慮と死への恐怖・・・矛盾した感情があります。

自分の心が揺れ動いているのです。
1月の寒さはこうした感情を高めとても苦しいのです。

「寒さが苦手です」この3年、毎年他人に告げていた予測は当たっていたのです。

体の快方はありません。この点は楽観できないのです。

希望なく、年を取り続けています。

この点も希死念慮を高める要素となっています。

生きる手がかりをつかみたいです。

希死念慮に悩まされながらの生きることへの衝動・・
矛盾していますが、生きる灯がわずかでも残っている限りは

生存本能が働くようです。

しかしこの先どう変化するかわからず予断を許しません。
自分をどう表現していいかも迷いながらです。

再服用も視野に入れながらです。

耐えるのに疲れています。

体力さえ回復すればと願っています。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性 2015年(40代の前半)に過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 体力の回復で何とかなると楽観 気楽にいきましょう