2019年も相変わらずベンゾ後遺症

正月というのに食欲が全くありません。
ベンゾジアゼピンの後遺症の筋肉痩せは進行し胴回りが痩せ服がブカブカです。

貯金とともに減る筋肉。

寒さと貯金と筋肉の減少で自分の破滅を感じます。
頭だけははっきりしてきてこれまで気づかなかった過去のチャンスに気づかされます。

13年前大きなチャンスをつかんでいました。それを放棄した。

そして地元で墓穴を掘っていたのです。
なぜ気づかなかった?自分を偽ったままでいた?

洗脳?薬物?  果てしない自問自答が続き私を苦しめます。

現実はお金も若さも筋肉も失いブザマな様子を福祉事業者にさらけ出しているのです。

愚かな父に洗脳されていた? 自分らしくない振る舞いは明らかに洗脳によるものです。

学の無い父に洗脳され不本意な人生を歩んでいたのです。

人のせいにするなと言われそうですが、失意の中大金を持たされ自分を見失っていたのです。

今から考えると下らないことで自分を見失っていたのです。

下らないことにとらわれることが私の精神疾患かもしれません。
しかしそれでベンゾジアゼピンをのんだのは間違いでした。

思考力が鈍り、判断を誤り人生を失敗しました。

そして体は崩壊し自宅で過ごしている。毒父に生活費を入れてもらい、
まさに飼い殺しの状態です。

「ここから出たい!」気持ちは正常化しても胃と筋肉の弱さでただ自宅で
息をしているのです。

1月1日正月。関係ありません。

毎日が闘病。

お金も稼がなければならない。この先どうしろと言うのか?私がそれほど責め
られなければならないのか?

あまりにも理不尽です。

加害者の医者やおかしな女は私より楽に過ごしている。

許せません。

こうした記憶がとめどもなく出てきます。薬剤性フラッシュバックでしょう。

クスリで抑えていた思考活動がクスリが抜けて活発化しているのです。

完全にクスリが抜けるまで耐えなければなりまません。

2015年に倒れました。3年前の2016年の正月はまだ外に気晴らしで歩けました。

今年2019年は食欲が全くありません。
倒れて4年目になるのに快方へ向かっていません。

2017年から来ていただいている訪問介護ヘルパーのお蔭でなん
とか意識を保っています。

もしヘルパーさんがいなければ毒父からの経済支援があっても、
精神的ネグレクト放置は続いていいるので
措置入院していたことでしょう。

最後まで毒父に苦しめられる自分の運命を嘆きます。

13年前、30代 人生をやり直せたのです。自分らしくなく父を敬ったのが
良くなかった。
父の決別するくらいのほうが自分らしくて良かったはずということです。

人生の判断のミスを認めるのが、体が衰弱した現在というのはあまりに残酷すぎます。

そしてこの10年間でもなぜ途中で軌道修正しなかったのか?悔やまれます。

同世代に話し相手がいなかったこれに尽きるでしょう。

「人の力を借りる」 今年も過去の反省を生かして生きるだけ生きます。

最後までお読みいただきありがとうございます。

<スポンサーリンク>




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

ABOUTこの記事をかいた人

50代男性現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度を利用し自宅療養中 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 現在断薬5年経過  筋肉もほぼ回復