失脚

毎日ブログを更新しているので元気に思われるかもしれませんが
決してそんなことはありません。

全身の筋肉が落ちました。

最近は両足ヒザの筋肉が落ち
寝床から起き上がる時に体重がかかり痛みが走ります。

特に眠れた後の意識がモウロウとした後に起き上がると
ヒザに痛みが走ります。

そして「このまま年を取るにつれヒザが悪化する」という強い
不安に襲われそのまましばし悩みの闇に落ち込みます。

ブログはこうした日常生活が困難な中の唯一の発信源です。
ツイッターもありますが、過去ログをみるのが困難でやはりブログの安定性にはかないません。

ブログはまた「文字の力」があります。重みがあります。

こうしたブログを毎日の生きた記録として意識と肉体が動く間、なるべく続けたいのです。

もっともサーバー代、生活代全般という経済的基盤が前提ですが・・・

胃の苦しみはもちろん、両足ヒザ周りの筋肉が落ちると
文字通り「失脚」を意味します。これに自嘲する自分がいます。

「何かの罰?」とさえ自分を惨めに思うことがあります。

「苦しみに苦しみの果てに死ぬのか?」と覚悟に似た決意を持つこともあります。

私をイジメ、害をなした相手は健康を謳歌して生きている。

自分はまるで計算されたかのように苦しみ、肉体まで削がれています。

精神科の薬はこうした苦しみと屈辱を与えるためのツールなのだな、と痛感しています。

18年前、精神科、精神薬の本質を知らずにベンゾジアゼピンのレキソタンやロヒプノール
をありがたがってのんでいた自分の愚かさ・・

重度の肩こりと不眠を治したかっただけです。

医者は、そうした主訴を持つ患者を優生学的に劣った者とみなしているのでしょうか?

ならば、あまりにも野蛮でむご過ぎます。

心療内科に関わったことなどちょっとした気のゆるみです。

快楽目的ではありません。

不眠や肩こり 大したことがない理由でベンゾに手を出しただ
けに「騙された感」が異常にあります。

しかし普通に冷静に考えると精神科、精神病院で出されるクスリがマトモナわけがありません。

鎮静させるためのクスリなのです。

私の住んでいる地域が昔から福祉が盛んで精神医療と福祉のつながりは「構図」として見えていました。

それにも関わらず自分が精神医療の罠にはまってしまいました。悔しいです。

祖父母に申し訳が無い。昨年他界し他祖父とは死に目に会えず葬
儀にも参加できず今も墓参りもできていません。

両親=父母より祖父母の愛情と影響を大きく受けて育ったのにも関わらず孝行もできず

障害者になってしまった。

肉体的苦しみとともに精神的な苦しみとなっているのです。

これもすべて精神科の計算でしょうか?

本質的に考えてそうでしょう。

(まだ自宅で過ごせるだけマシなのかもしれませんが・・・)

毎日がこうした苦痛と葛藤の連続です。

9月も半ばになりました。

月日の移ろいやすさを感じています。

2007年から2015年の
セルシン漬けにされていたころはやはりこうした月日の流れを感じず、人生を無為に過ごしました。

これを医師にあたかも主体的に無為だったと自己責任のように診断書に書かれました。
これには今でも反発心があります。

薬物と毒親(特に父)の洗脳からそうされたのです。

自分の人生を歩みたい。

遅すぎ気づきです。
気付いてもこの体では自宅ですごすのがやっと。

これまで自転車で行けたところに今ではタクシーを使うしかないのです。

足が丈夫で気分転換に歩きまわっていたかつての自分が信じられません。

太もも、ヒップ

すべて小さくなりました。

脚力がありません。

どうすれば治るのか? いつどこで自分の身を処するか?

こうした希望と覚悟が入り交じる日々です。

もう以前のような空腹と筋肉はない・・・

せめて痛みだけでも緩和されたいのです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性 2015年(40代の前半)に過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 体力の回復で何とかなると楽観 気楽にいきましょう