平和の中で家事をする幸運

SNSのタイムラインやニュースサイトでウクライナ戦争に関する動画やニュースを見ていると、戦場のウクライナ兵士たちがただ戦闘をするだけではなく、塹壕を掘ったり、掃除をしたり、洗濯や料理までこなしていることを知りました。命をかけた戦いに備える合間に、生活の維持という現実的な作業も自ら行わなければならない。その事実に触れると、戦場での過酷さがより一層リアルに感じられます。

戦場ではすべての行動が命に直結しています。例えば、塹壕を掘るのは敵の攻撃から身を守るためであり、掃除や洗濯も衛生状態を保つために欠かせない作業です。料理もまた、限られた食料と物資の中で体力を維持するために重要な任務の一つでしょう。しかし、敵のドローンやミサイル、砲撃、機関銃が狙う中、それらの行為には常に危険が伴います。砲弾の音が響く中、いつ敵の攻撃が来るかわからない緊張感の中で、それでも彼らは日々の生活を続けているのです。

一方、自分の日常ではどうだろうか・・。日本の日常での家事といえば、つい「面倒だ」「しんどい」「忙しい」と不満を感じることがあります。
洗濯物を干したり、食事を作ったり、掃除をしたりすることが負担に思える日もあります。しかし、戦場の兵士たちの現実を知ると、平和な環境で家事を行えることがどれだけ幸運なことかに気づかされます。

戦場での家事と平時での家事を比べると、その意味がまったく異なります。私たちが行う家事は、命を守るためのものではなく、生活を豊かに快適にするためのものであり、何よりもたミサイルや銃弾が飛んでこない、その恐れの無い安全な場所で行うことができます。それが当たり前のように感じられるのは、平和な環境があるからこそです。

特に思い浮かぶのは、料理をする時間です。兵士たちは限られた食材や道具を使って効率的に食事を作る必要がありますが、私たちはネット通販やスーパーで好きな食材を選び、
自分や家族のために気兼ねなく料理を楽しむことができます。この違いに思いを巡らせると、平和の中でキッチンに立つことがどれほど恵まれたことかと身に沁みます。

また、洗濯や掃除といった作業も、戦場では物資が不足する中で最低限の衛生状態を保つために行われますが、私たちはきれいな水や便利な道具を使い、衛生的な環境を維持することができます。このように、何気なく行っている家事一つひとつが、平和の中でしか実現できない贅沢であることを改めて感じました。

こうした気づきを得ると、普段の家事に対する考え方も変わります。「面倒くさい」と思うのではなく、むしろ家事を楽しむ余裕すら持てるような気がします。兵士たちがどんな状況下でも自分を保ち、生活を続けている姿を思うと、今自分が安全な場所で穏やかに家事ができることが奇跡的とさえ思えます。

日々の忙しさの中で忘れがちな平和のありがたさ。それを家事を通じて実感し、つい不幸だと思いがちなベンゾ断薬生活を「日本に生まれて幸運である」と感謝の気持ちを続けていきたいです



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50代男性現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度を利用し自宅療養中 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 現在断薬5年経過  筋肉もほぼ回復