生きるのに最小限の肉体的基盤と経済的基盤を求めて

6月に入りました。年の半分が経過。天候は雨の日が多い梅雨の時期。

気分が沈むこと多い日々です。

肉体は内部から朽ちています。しかしながら精神面は充実しているという奇妙な状態です。

胃痛、筋肉減退、皮膚の脆弱、いつもの慢性的な衰弱と苦痛と共存しています。
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これでも立って歩けて家事ができるようになったのですから、まだ「助かっている」と

解釈したほうがいいのでしょうか。

レキソタンは朝夕5mgに戻しています。いまさら漸減もなにもない。
ただ痛みを緩和し動ける時間を増やす。

これから夏を迎えるので「ヘルパーさんらと外に出かけたい」、

こうした思いからも薬には容認的な態度です。

とはいえベンゾジアゼピン、レキソタンは、

麻薬類似物質で、中枢神経抑制剤です。本当の体力とは言えない「まやかし」の中で誤魔化しの日々。

しかしだからこそ、急にやめたり減らすのは逆効果である程度「まやかしながら」生きざるを得ないのです。

ネットで部外者が恐怖を煽る暗示ばかり繰り返しています。

たとえその理論が正当であっても、
体の苦しみは、患者にしかわかりません。

レキソタンで最低限の安定が保たれるのなら、これもまたよいでしょう。

ただ、減った筋肉でどこまで行動できるかというこおtがいつも私のここをを占領しています。

「福祉サービスの活用」

現在障害福祉サービスでヘルパー(訪問介護)、訪問看護師でケアを続けています。

特に調理を手伝ってくれるヘルパーさんの存在は大きく、悩みごともすべて話すほど
精神的に依存しています。

レキソタンとヘルパーに「依存」している状況です。これをどうとらえるか、読者の判断に仰ぐとして、
今の自分にとって福祉ヘルパーは、「最低限の依存にして最高の存在」という状態です。

そもそも人間は「依存」して生きていくものです。

世間に宗教団体の構成員が多いのも一人では生きていけない人が多いことの証明です。

何億もの金融資産があったとしても、完全に一人で過ごすことはできません。

逆にお金持ちhど、社交的で交友関係が広く孤立しません。

しかし、そのまた逆に貧乏になるほど、

人は遠ざかり、望まなくても孤独になるのです。

貧乏と病気、老齢が少しずつ襲ってきています。

若き日の間違った人生観と精神薬の服用で今の私は進退窮まっています。

唯一のまとまった収入源の有料メルマガも打ち切りにあいました。

価格が高すぎたのです。まだ障害年金とアドセンス収入が僅かにあるので、

少しばかりの希望は持っていますが、

衰弱した体とレキソタン常用という二つの困難と闘い続けながら

経済活動をしなければならないという

厳しい状態です。

 

福祉の活用は肉体的基盤だけでなく、経済基盤の整備にも力になってくれます。

ヘルパーさんとの付き合い一年経過した今、「信用」が築かれ、信じられない心の力が生じています。

 

悩める方、社会福祉の利用をお勧めします。これは正当な日本国民の権利です。義務はこれまで果たしてきたと解釈できます。

むしろ医療過誤の損害賠償であってもいいのくらいです。

 

「せめて肉体の復活を」

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朽ちていくばかりの肉体。胃痛とノドのの違和感は今のとこと治まっています。

これもヘルパーさんや看護師さんとの会話のお蔭です。

こういう過程を経て精神面がずいぶん向上し、

悩みを聴いてもらい、さまざまな相談に応じてもらうことで、

日々の生活から精神的負担がずいぶん楽になりました。

それでまた掃除洗濯調理といったこれまで一人では困難なことがこの春先から

急にできるようになったのです。

具体的な肉体症状の緩和は栄養療法に加え、
訪問マッサージや按摩、鍼灸を福祉医療制度を利用したいです。

筋肉が本当に減っているので、何らかの機能訓練

とマッサージによるリラクゼーションで
疼痛を緩和しこれを以って筋力の増強につなげたい構想を持っています。

マッサージ、按摩、鍼灸、効果のほどは分かりませんが、

やるだけのことをやるしかないでしょう。

即効性がなくても継続することが力になります。

自然治癒力とは、こうした継続から引き出されるものですから、

福祉医療を格安で最大限に活用したいです。

胃痛は今や「点の痛み」となり、筋肉衰弱もいきつくところまで行きついた感覚がします。

あとは筋肉の回復を待つばかりです。中枢神経が原因だとしても、

体が動かすことができるのですから、
まだ何らかの希望と可能性はあると信じています。

「収入安定」

有料メルマガという大きな収入源の一つを失いました。

読者一人に2万8千円もの法外な値段をつけていたので、
続く訳はないと思っていましたが、やはり4か月目で打ち切りにあいました。

メルマガなら一人千円程度が妥当なところでしょう。

宣伝になりますが、まぐまぐで有料メルマガを発行しています。たった一人の読者も去ったことですので、

価格を1650円程度に設定。このブログの編集版を月2回程度発行しようと考えています。

月2回で1650円は高いかもしれませんね。(まぐまぐに申請しました。ご支援のほどよろしくお願いします。)

発行日程と価格設定に迷ていますが、このブログのコアのファンの方に登録していただければ幸いです。

あまり書くとアドセンスポリシーに抵触するので、この程度に留めますが、
障害年金以外の安定収入をいかに得るか悩んでおります。

本当はお金儲けなど考えず、ゆっくり療養したいのですが、療養するにも何かとお金がかかります。

家事支援でさえ今のヘルパーさんだけでは足りない状態なのです。

レキソタンが良くないとわかりつつ、これを用いて少し安定させることが今の私のQOL安定に必要なのです。

「治療」でなくていいのです。症状が緩和され、日常生活を可能な限り充足させることが
本来の目的。

今は割り切るしかない。覚悟の人生なのです。

「お金ですべて解決しないが惨めさを追放することができる」

お金がいかに大切か病気療養を通じて自覚しました。お金で幸福は変えません。全てが保障されるわけではありません。

しかし「お金で惨めさは追求できるのです。」

肉体的、精神的にハンディのある障害者にとってお金こそ最強の防御ツール(盾)なのです。

それは貧困ビジネス業者を寄せ付けず、衣食住を整え、読書や外出といった文化活動を可能にします。

障害があるこそお金は必要で、その力はは生命力といえます。

お金にこだわることは汚い」という間違った観念があります。

しかしお金儲けのために人間の健康と尊厳を奪っている

医療食品業界は罰せられてしかるべきです。お金は障害者や病人、

正しきことを追求する人こそ持たなければなりません。

せめて障害者にこそお金に困らない制度の確率と持てる潜在能力の活用の機会を増やすべきです

最後までお読みいただきありがとうございます。

参考文献

睡眠薬中毒 (PHP新書)

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度を利用し自宅療養中 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 現在断薬5年経過  筋肉もほぼ回復