向精神薬は危険ドラッグと同じ!断薬希望!クリーンで健全な体に戻りたい!

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続いている筋肉症状

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筋肉減少が続いています。服がまたゆるくなってきました。
ブログの更新も少し辛いです。先週大阪へ寿司を食べに出かけた疲れがようやく取れてきたものの、
従来の筋肉減少はゆっくり進行しており、脳に作用するクスリの怖さを再認識しました。

去年の今頃、役所へ福祉申請に行きました。しかし当時は今より筋肉が残っていたので、
食事や外出は今より楽でした。

今年はそうではありません。筋肉を失い、体が冷えるようになってきました。

来年、(もし生きていらた、ですが)今より苦しいことになっていることは
容易に想像がつきます。自らの人生の愚かさを嘆きながら、「どこかで終止符を打たねばならない」、

厳しい思考が続きます。

先行きも絶望です。あえて希望を持つなら、福祉の世界でかろうじて生かされるかもしれないということです。

しかこれは「尊厳」を捨てなければならず、もともと誇り高く生きたかった私には耐えられないでしょう。
希望を持ちたい。しかし2015年からの3年を振り返ると、当時乗れていた自転車にも乗れなくなり、
食欲は回復せず、
胸回り、臀部が痩せて薄くなり体が一回り小さくなった現実があります。

胃炎は胃痛へかわり、胃痛から胃の違和感にかわりました。
痛みは残っています。体の筋肉が全身的に萎縮しているのが胃の不調の本質です。

なので消化器内科へ行っても治るわけがありません。

あらゆる科を受診しても筋肉減少はゆっくり進行し、今に至ります。

今年の春まで生きているとは思っていなかった昨年当時のことを思うと、今、生きてこうしてブログを
更新しているのは奇跡的といえます。

ヘルパーさんの尽力によるものです。多少の問題はあるとはいえ、福祉の効用があったといえます。
精神薬害の孤独死、不審死を防いだのです。

しかしその間、筋肉減少はゆっくり進行し、絶望的になる中も福祉ヘルパーや看護師さ
んの力で神経の回復につながらないものだろうか?と考えています。
この一年の「意識の回復」が奇跡的だったからです。

意識だけは回復したのです。
筋肉は回復しませんが、意識は回復しました。神経も回復しそうなものですが、
これはムシが良すぎるでしょうか。

ベンゾジアゼピン向精神薬の減断薬が自分の人生を一変させました。体が小さくなり、胃の不調が慢性化しています。
長年飲んだことと、ストレスが交差したので一概に言えませんが、ベンゾジアゼピンの長期服用は破壊的で

慢性的な不調と後遺症は残るといえます。

私のような長期服用者は、もう何が原因かわからないほどですが、
少なくとも2年以上不調が続き、福祉の世話にならざるをない後遺症に陥ったのです。

いつか終わると信じたいです。

 

 

「痛みの後に筋肉減少」

この数年の観察で分かったことは、胃の回りに痛みが生じた後、筋肉が減少するようです。

ですので、「痛み」は筋肉減少の前兆であると同時に筋肉減少は疼痛緩和の前兆でもあります。
筋肉減少は辛いものの、痛みが緩和されるので、どこかほっとしたところがあります。

しかしこのまま痛み⇒筋肉減少⇒痛みのサイクルが続くのなら、最後はガリガリになるまで痩せて死ぬのでしょうか。

いつまで続くかわからない不安があります。少なくともこの一年は痛み⇒筋肉減少のサイクルが続いています。

今度新しく交代した看護師さんにどう説明しようかという少し面倒な思いもありますが、
今度の看護の方は優しそうなので、期待が持てそうです。

このまま最後まで看取ってくれたらいいとさえ思いした。

もうこれ以上生きても仕方ない、という思いがあります。

「どこかで終止符」という思いが常にあります。本当に愚かな人生で自分の行いでやりなおしたい
という思いが沢山浮かんできますが、過ぎた時間は取り戻せず、
愚行を繰り返していた時間の中で何も気づかなかった自分への
思いがあります。

昔の人は志を立てそれなりに満足に生きたでしょうが、
私のように薬やさまざまな情報や思想が入り乱れる
現代社会において、本来の自分を忘れ、
今となって後悔あうる人生は愚かでありながらもありふれたことになりつつあります。

 

やはり昔の人が言っていいた「初心」というのは大切で自分が何をしたいのか?何を求めているのか?

常に本物の願望や欲望を中心に物事を考え、志を立てることが大切かわかりました。

昔の人はそれを古典や歴史から学んでいました。私もそれに憧れたことがありますが、
肝心の古典や歴史が
今の教育や社会では特別なものになっています。

学ぶといっても今の私には古典や漢文は難しい外国の世界です。

もしそういうことに素養と修養を備えていれば、薬に溺れることなく、
仮に溺れても被害は最小限に済んだかもしれません。

歴史や古典を軽んじた現代社会と向精神薬の蔓延は表裏一体のものに思えるのは私だけでしょうか。

どこか同じ根があるように思えてなりません。

「遅きに失したといえど」

今さらながら歴史や古典の重要性を思い知ったのですが、何もかも遅すぎた感もあります。

筋肉減少の進行がこうした教養で治るとは思いませんが、
少しばかり、良い精神作用をもたらし、結果的に心身の安定につながることも考えらます。
何より生死のはざまにいるわかですから、歴史や古典から理不尽な世の中や真実を覆い隠す体制を克服する
何かが見えてくるのではないかという期待もあります。

良い言葉を歴史や古典から学び、「生を全うできたら」、と思い始めています。

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ABOUTこの記事をかいた人

1971年生まれ。経済学部卒。関西在住。単身。 向精神薬害で毎日闘病。機能性ディスペプシア(FD) 慢性ストレス疾患にて仕方なくレキソタン服用。 ブログは毎日更新。 精神安定剤、ベンゾゾジアゼピン依存・離脱・後遺症の療養記録です。 レキソタン(ブロマゼパム)、セルシン(ジアゼパム)の2種類を2007年からカクテル処方され、8年長期服用。2015年から大幅な減断薬。その後2015年暮れから副作用・後遺症に陥り現在も療養中です。さらに家族との不仲で、経済的にも窮しています。2017年から「障がい福祉サービス」を受給。訪問介護、訪問看護を受けています。 気分変調症。障害基礎年金2級。障害福祉の現場に潜伏中。ブログで情報発信しています!