ベンゾ常容量離脱 2015年夏の回想(年数訂正版

2015年から2018年頃の期間は夏でも暑くなく寒さでふるえていました

ベンゾ状容量離脱による筋硬直と心窩部の痛み、汗がほとんどでない症状
体温調整がうまくいかず甲状腺ホルモンの病気ではないかと真剣に悩んだほどです

2018年以降から少しずつ改善しましたが
それまでの数年間は夏でも寒さでぶるぶる震えるという異常の中にいました

クーラーをつけなくてもいいくらいだったので電気代が節約できましたが
そういう問題ではありません 異常な痩せと発汗機能の低下に陥っていたのです

家族も誰も助けに来ず 毎日痛みに耐えながらも、胃をちゃんと診察してくれる
消化器内科をネット検索で探してドクターショッピングを重ねたものです

2016年の8月のある日の夜中、あまりに苦しいので救急車を呼びました
正月に搬送されたばかりの大学病院につきました

バイタルには異常なし しかしとても苦しいことを訴えても
運ばれた先の大学病院ではほとんど相手にされずその足で帰宅することになりました

真夜中の夜道を一人てくてく歩き始めました 救急車で運ばれてきたのに
自分の足で歩いて帰ることに奇異な感じを持ちました

夜道を歩きながら店のショーウィンドウにうつる自分の姿はまるで子供のような
体型でした 胸の筋肉がやせ衰え胸板が平べったくなっていたからです

病院から一駅歩いたところでタクシーに乗りました

そのタクシーの運転手が私のうつったバックミラーをみて「ひぇっ!」と怯えた声を
出しました
当時の私は頬がこけ落ち今にも死にそうな形相だったからです

肉体的な苦しみとともにこけた頬で人前に顔をさらすのが精神的な苦痛でした

タクシーの運転手はまるで化け物を見たかのようにおびえていました

夜中にバックミラーにうつる頬のこけた客の姿は
タクシー運転手にとってこの世のものではないものをみたという不気味さがあったのでしょう

それが客の自分にひしひしと伝わって来ました

タクシーで自宅近くについて料金を支払うときも恐れられました

ただでさえ肉体的に苦しいのにさらに精神的な苦痛を受けました
心身共にボロボロになりながらもなんとか帰宅

家でまた同じように全身の硬直と心窩部の痛み 皮膚異常 発汗機能の低下
といった症状との戦いです

2015年に倒れたからまるで良くならずますます悪化

栄養失調も起こしていたと思います
救急車を呼んでも解決にならず慢性化した苦しみと一人で戦わなければならない辛さ

そしてこの2016年夏から自転車に乗れなくなり散髪にも通院にもいけなくなりました

汚部屋の中で一人衰弱

自分はどうなるかわからない  
希望を求めてネットでの情報交換だけが精神的な救いになっていました

この夏の苦しみはこれが終わりではなくその後しばらく続きました

2024年の今はこうした苦しみを忘れがちですが
普通に食事ができることがどれだけありがたいか 

苦難の時代を忘れないようにしたいです



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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性 私大経済学部卒業  若いころから病気がち アルバイトや自営の仕事を転々とする 現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度利用者 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と 過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 薬害を受けてもないことにされるという資本主義社会の 矛盾に気づき社会福祉を受けることでマルクスの資本主義分析に共鳴