冷え込んでくると薄くなった胸回りに手を当てると、
筋萎縮が進行しているのを感じます。
はた目には分かりません。もともとがっしりとした大きい体格だったので、
一回り小さくなっても「普通」に見られます。
しかし薄くなったヒジヒザ回り、手足指などがそれぞれの付随する筋肉の運動を妨げ
不自然、閑居さざるを得ません。
筋萎縮への恐怖感から過食に陥り太ることができしたが、
その脂肪のほとんどは腹回りで胸板は細くなり、文字通り
「餓鬼体型」です。
今はその過食から胃腸を保護し精神を休める目的で朝食抜きの半日断食と
朝夕を少食にしています。
とりわけ食事の質には気をつけるようになりました。
全ては遅すぎた感もありますが、まず「糖質」過剰にならないように
白米の分量を大幅に減らしました。今は茶碗に1~2杯(一日)に限定しメインは味噌汁や
肉や卵を野菜を調理したものです。(空腹感は全くありません)
もちろん味噌や肉魚卵は鮮度と質の良いものを選んでします。
これまで無自覚に店屋物をひいたり、朝食に雑炊やチャーハンを食べていたことが
いかに胃腸に負担をかけていたか、と反省しています。
胃の不調はこうした糖質過多な食生活にも起因しています。
さんざん食べておいて「胃が痛い」からと六君子湯をバカスカのむ。
漢方も化学物質で連用するものではありません。
まったくもって本末転倒なことをしていました。
向精神薬の減薬、断薬だけでなく胃腸を保護するにはまず食生活を改めなければならず、
この点に無知であったことを寒くなり始めて気づかされました。
しかしベンゾ中毒者が一人離脱生活で食生活を改めるのは難しく、やはり
「家族の協力がベンゾ離脱には必要なのだ」とあらためて向精神薬の怖さを思い知るのです。
食事、運動、睡眠 ベンゾ離脱の環境づくりは事前にクスリへの知識と間違った洗脳からの
脱却が必要なのです。
クスリの知識とは難しくなく、「ベンゾジアゼピンは麻薬並みのクスリである」ということ、
間違った洗脳とは「医者、医療は正しい」とする医療信仰です。
この二つが難しい。
家族の協力を得ようにもベンゾに手を出すような家庭はどこか問題があり、
私の場合は既に家族は崩壊していたのだと気づかされました。
このような時に家族に協力を求めるのは無意味で「福祉」の世話にならなければなりません。
福祉も一筋縄ではいきません。
介護福祉の民営化で素性の良くない人達が多く福祉分野に流れ込み
福祉の「質」が大幅に低下しています。これまでお伝えしたようにケアマネ=相談支援専門員の質が低く
過去に二人交代し現在、3人目、3代目の相談支援専門員と契約したばかりです。(3代目は少し怪しいNPO法人系ですが、
もう契約しました。福祉業者の本質はどこも同じでしょう。
ベンゾジゼピンというクスリからの離脱症状は、福祉分野にまで尾をひき、
苦しみは続くのです。
半日断食と少食に希望?カルト?
筋萎縮の進行は止まりません。食べても身につきません。
腹回りだけです。
せめて胃腸を休めて内側から力をつけるというやり方に変えています。
断食とまではいきません。少食です。肉卵魚といった動物食OKのやり方です。
本来の玄米菜食の断食療法の良いところをとり入れながらも
動物食からも栄養の補給をする。当面こうした食生活の見直しを続けていきます。
筋萎縮の進行が止まったといいう報告もなされています。
少食、断食にナニカがあるでしょうか・・・?
少食断食やはりカルト?
ただやはり少食、断食宗教的なのは否めず戦後の「白米を食うと馬鹿になるからパンを食え」の思想と一脈通じている
ように思えます。少し白米を食ったほうがいいのでしょうか・・
過食を戒める意味での少食はいいのでしょうが、
今の世の中に出回っている少食、断食説は、病気で食えない人を管理するための方便にも
解釈できるのです。
かなり宗教がかっている断食、小食療法。
どれも白米敵視なのが気になります。
もちろん「食べ過ぎ」は良くありませんが、反動で糖質をやめ、少食というのも偏り過ぎ。
寒さで胸回りの薄さが気になるようになりました。
寒さによる筋硬直も出てきました。
冬前でこの状態。年末年始の寒さを思うと不安でなりません。
まったくもって原因不明の症状。
トンデモ理論やカルト教義に傾倒する心理的弱さを自覚しつつ
とはいえ、小食理論にも一理あり。(カルトという言葉を文中で使いましたが、これは適切でないのかもしれませが・・)
極端なことはせず、
何事もほどほどを心がけます。
最後までお読みいただきありがとうございます。
<スポンサーリンク>
コメントを残す