安息の日を求めています

昼夜逆転は思った以上に心身のストレスになります。

レキソタンをのんでも落ち着かず。最近はプチ断食(朝断食)をはじめて
自分の中の可能性を引き出そうとしています。

しかしどれも即効性がなくしんどい日々です。

レキソタンの量を増やすか、我慢するか?もっと別のクスリに変えて楽になろうか?

などこれまでの反精神医療をやめてしまおうという投げやりな感覚にとらわれます。

毎日の病苦疲れました。

障害福祉は標準的なサービスが行われておらず何かと気苦労が多いです。

弁護士への相談費用もかかりました。

誰も救ってくれません。お金も減る一方です。

「ならばもう断薬に耐えるより、クスリを肯定して楽になったほうがいいのではないか?」という

クスリを肯定した退廃的な気分になっています。

所詮、弱者は踏みつぶされ、食い物にされるのです。

そもそも精神科・心療内科がそういうところなのです。

クスリをのんでしまったからには遅いのです。

福祉は暴力団のフロント企業と思えるような会社法人ばかりで
安心できません。

障害者ビジネスの危険もあります。

両親とは不仲です。私が悪者にされ一方的に断罪され無実を晴らそうにも取りあってくれません。

どんなにいかがわしいとわかっている障害福祉サービスでもありがたくなるのです。

かつての強かった自分の面影はありません。

「下らない連中に食い物にされる」そういう予感に心を支配されます。

ネットの人達にも救われましたが、しょせん他人事。私の不幸を待ち望んでいるという邪念さえ浮かぶのです。

ならばレキソタン程度のマイナーを肯定して適当にやり過ごしたほうが、全体的にみてよい選択にも思えるのです。

筋萎縮と痛み。これを鎮めるのはレキソタンを始めとする精神薬しかないようです。

神経痛がおさまる日はありません。

クスリで麻痺させるしかないのです。

本当に疲れました。安息の日々を求めています。

原因不明の慢性疾患に治療法などありません。

それこそ精神薬で誤魔化し続けるしかないのです。

まるで精神科の存在意義を肯定するかのような記述ですが、
苦しみ、崖っぷちの瀬戸際にあるギリギリの人間には
苦痛を一時的にでも緩和する精神薬しかないようです。

理屈では良くないとわかっています。

しかし耐えても仕方ありません。

下手をすると発狂して閉鎖病棟の危険さえあります。

福祉業者の善意に頼るのはあまりにも人間の尊厳を失います。

ある程度自力でやるにはクスリの力を借りるのも一つの手です。

そうレキソタンは私にとって「最終手段」なのです。

こういう意味合いでの精神薬の服用は残念ながら必要なことかもしれません。

3年前の2015年にはじまった胃炎は筋委縮の始まりだったのです。
内視鏡、胃カメラを3回やっても異常なし」でした。

筋肉が内側から萎縮していたのです。

外側のヒジヒザ、肩、臀部、足裏の薄化と同じように内面の筋肉も萎縮していたのでです。

止める方法はわかりません。

ただ苦痛を止める方法は精神安定剤しかないのです。

それが筋萎縮の原因薬剤であれ、ある程度のクスリは苦痛緩和に必要なのです。

今はただ安らぎを求めています。

耐えても同じです。私の場合、断薬にはゴールが無いのです。

どうやって日々をやり過ごすか?福祉業者を上手に活用するか?

それだけが関心事項になっています。

薬をのむ前の自分の姿、記憶を思うたびに悲しくなりますが、これが現実です。

こんなはずではありませんでした。

せめて安息を求めるのです。

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度を利用し自宅療養中 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 現在断薬5年経過  筋肉もほぼ回復