自前の福祉事業を展開するしかないのでしょうか?

どうも最近無理をしています

筋萎縮と皮膚脆弱は相変わらず続いています。季節が3月から4月に変わろうとしているのに
寒さで風呂に入る回数が相変わらず多いです。

これらの筋肉症状は全てベンゾの後遺症です。ストレスや栄養失調といった要因も考えられるでしょうが、
残念ながら、ベンゾ系向精神薬の薬害です。

重度の抑うつは障害福祉サービスのサポートが奏功し何とか掃除ができるレベルにまでなりました。
金銭的に障害年金受給という経済面でのプラス効果も精神的に影響しています。

筋肉は萎縮し、胸回りは薄い。手足の感覚もモノに触れると「薄さ」を感じます。

顔は少し病的。来訪する福祉業者には分からないようですがが、本人的にはわかります。

こうした肉体の劣化にも関わらず、精神面は回復傾向にあるので、心
身のアンバランスのためか報復心、復讐心が出てきます。

しかしここで早まった行動をしてはならない。

まだレキソタン5mgを服用しています。ベンゾを完全断薬できていません。そして筋肉が脆弱です。

怒ったところで何もならない。逆にこちらがやられてしまいます。

福祉のレベルは相変わらず酷いままです。それでも人の存在、気配で意識が回復したのですから、
家族が機能していれば福祉業者など不要なのです。

その家族が機能していない。機能不全家族なのは過去の記事で記した通りです。

なので結局、問題はあっても、この弱い体では福祉に頼らざるを得ないのです。

あまりにも受け身で事業所優位。これなら自分で福祉ビジネスを立ち上げて利用者兼経営者になればいい」と考えました。

絵に描いた餅です。実際の経営者のヘルパーさんに聞くと「人が集まらない、集まってもすぐにやめる」
と言います。

制度はあっても福祉サービスが利用できない。人が集まってもすぐやめるか、問題のある人たちしかあつまりません。
「本当の福祉とはなんなのか?」考えせられます。

家族がいても毒親だったり、福祉サービスがあっても虐待がつきもの。

結局こちらの強みをもって「支配」するしか方法がないのです。

法律は障害者を守っていますが、実質、精神医療を是として認識ですので、本当の福祉サービスとは程遠いです。

やはり自前で福祉事業を持ち、ヘルパーと運命共同体にならなければ福祉にはならないのです。

そこではリーダーシップや経営力が問われますので、やはり障害者にはストレスになります。

私が30年前にみた福祉の姿は今ありません。世の中不景気ですから、
仕事欲しさに嫌々福祉をやっている人達が多いからでしょう。

もう少し待遇をよくすれば障害者が安心して回復へ向けての生活を送れるのです。

それがどこまでも障害者の体力、知力、精神力に左右されます。
福祉を受けながらも「自助」を要求されるのです。

これは福祉とは言えません。障害福祉サービスは形骸化しており、障害者の管理能力が求められるのです。

ここでもやはり自前の福祉事業を持つしかないという選択肢に戻ります。

自助、公助、互助 この3つがうまく整ったときに真の福祉が実現されるのでしょう。

現実は障害者の自助ばかりが求められます。

ベンゾ系向精神薬による筋萎縮という珍しいケースにも見舞われ風前の灯火です。

2年前の危険な状態を思い出すと、今では回復したといえます。しかしまだ全身の衰弱が激しく

家の中を彷徨う日々です。
いつか抜け出したい!

最後までお読みいただきありがとうございます

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度を利用し自宅療養中 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 現在断薬5年経過  筋肉もほぼ回復