2月15日 障害基礎年金の受給日です。年金以外まとまった収入がなく、貯金を食いつぶしている中での収入は
本当に助かります。額は少ないとはいえ12万円。(2か月分)
これがあるのとないのでは大違い。
もし障害年金がなければ今頃生活保護の準備をしていたでしょう。
体も心も傷つき侮辱を受けている中、こうした社会の底辺を這いずり回らなければならない。
ほんの少し前までほとんど金に困ったことが無く、悩みがニュース報道のどうでもいいことでした。
今から考えると本当に贅沢でした。
その当時はご飯もおいしく食べれたのに、旅行にも行っていない。
今は体力的にも精神的にも経済的にもすべてにおいて旅行に行くことなどできません。
「人生を楽しんでいない」
ベンゾ漬けにされ合理的な判断ができなかったためでしょうか?
毒親からの洗脳のためでししょうか?自らの偏った社会観、人間観のためでしょうか?
この3つの全ての複合原因のためでしょうか?よくわかりません。
しかし病気になって初めて人生にとって大切なこと、普通のあり難さに気づくのです。
多少の理不尽があっても、実害がなければ向きにならずにスルーでやり過ごす大切さ。
そもそも自分は何をやりたいのか?何になりたいのか?「志し」がはっきりしていなければ、
人生の計画を立てることもできず、チャンスが巡ってもそれをチャンスと見抜くことができず、
あとで気付いてアタフタと後悔するのです。
こうしたことも病気で倒れて気づきました。それも向精神薬を減薬している過程ですから、
「魂からの衝動」、「生命の根幹」からの気づきでしょう。
少しオカルト的、スピリチャル的な表現ですがこれ以外の表現は見当たりません。
障害年金というお金のあり難さも、病気で倒れベンゾが抜けていく過程で気付いています。
それまで親の財産を食いつぶし自分は薄給で勤勉のポーズを取っているだけでした。
薄給でも働いてい他じゃないか?と言われればそれまでですが、もっと労働条件の良い職場を選ぶべきでした。
自宅から近いとかそういうのではなく、職場でにお人間環境。しかしこれは全国的にブラック企業化が進んでいるので精神を病む人も多く
どこも変わらないでしょう。むしろ仕事があっただけマシだったのかもしれません。
しかし体を壊しては意味がありません。ベンゾ漬けにされ被害を受けた精神科医に頭を下げて福祉と年金の診断書を書いてもらう屈辱。
障害年金のあり難さを感じながらもベンゾさえのまなければこんな惨めなことにならなかったのは明白。
慙愧の念に耐えません。
障害年金は受け取ります。命綱だからです。しかしこのような年金に頼らなくてもいいくらい稼げるようになりたい。
こういう野心も少しは残っています。
朽ちた体と50前後ンという年齢。もう「終わり」を意識しているのですが、残りの人生をより有意義に
そしてベンゾが抜けて気づいたことをを少しでも取り戻したいです。
人間関係だけは家族を含め最後まで困難を極めるでしょうが、これも精神科以外の方法で解決の道を探るしかないでしょう。
障害年金受給日。今年は更新のための診断書が必要な年で等級落ちの心配がつきまといますが、半年は経済的に余裕を持って生きることができます。
わずかな期間ですが、やるだけのことをやって備えたいです。
2月の寒さも終われば3月春が訪れます。今よりマシな状況になることを祈りつつ。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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