神戸ふたたび。感動はなかったけれど、それでも記録しておきたい一日

 


【小さな外出記録】神戸ふたたび──期待と現実のあいだで

目次

  1. はじめに
  2. 再訪のきっかけと淡い期待
  3. 淡々と過ぎていった1日
  4. 外食をやめた理由とおにぎり弁当
  5. 写真に残せなかった風景
  6. 心に残ったこと、残らなかったこと
  7. おわりに

1. はじめに

この月曜日、ひさしぶりに神戸を訪れました。今年の2月にも一度訪れた場所ですが、今回はそれ以来の再訪です。いつもと違う空気を吸いたい、少し気分を変えたい、そんな気持ちが背中を押してくれました。

しかし、思い描いていたような「良い気晴らし」とまではいかず、感情の波も小さく、どこか淡々とした1日となりました。


2. 再訪のきっかけと淡い期待

今回訪れたのは、2月にも行った神戸のある一角です。そのときは冬の澄んだ空気と快晴の天気が印象的で、ちょっとした旅気分を味わうことができました。「もう一度、あの感じを思い出せるかもしれない」という淡い期待がありました。

けれど実際は、前回ほどの感動はなく、訪れた場所や歩いた道も、どこか灰色に見えてしまいました。


3. 淡々と過ぎていった1日

朝は比較的スムーズに出発し、予定していた用事も問題なく済ませることができました。けれど心が大きく動く場面はなく、気づけば「こなす」だけの時間になっていたようにも思います。

もちろん、外に出たこと自体は悪くなかったのですが、内面の状態は終始フラットで、何かが心に染み込んでくるような時間ではありませんでした。


4. 外食をやめた理由とおにぎり弁当

本当は外で何かを食べようかとも考えていました。せっかくの外出、食の楽しみくらいは味わいたいという気持ちはありました。

ですが、財布事情が厳しいこと、そしてここ最近続いている胃の不調もあり、結局おにぎり弁当を持参してそれで済ませました。どこか公園のベンチなどで静かに食べるおにぎりも、悪くはありません。

ただ、やはり「外食」という非日常のアクセントがない分、気分の切り替えもぼんやりしたまま終わってしまいました。


5. 写真に残せなかった風景

いつもなら何枚か写真を撮るのですが、今回はシャッターを切るような場面もほとんどなく、適当に数枚撮影しただけです。

2月に訪れたときは、寒さの中にも澄んだ陽光があり、空の青さが際立っていた記憶があります。あのときは風景のひとつひとつが心に届いていたような気がします。

 

今回は5月という季節であるにもかかわらず、天気は曇り。空気もどこかくすんでいて、気温も思ったより上がらず肌寒さを感じました。やはり、天候や光の加減が心に与える影響は想像以上に大きいのかもしれません。


6. 心に残ったこと、残らなかったこと

神戸での数時間は、特に大きなトラブルもなく、スムーズに過ぎました。けれど「心に残る何か」がほとんどなく、あえて言えば「何もなかった」ということだけが印象に残った外出だったともいえます。

ブログに書くかどうか迷いましたが、「何もなかったこと」もまた、何かの記録として残しておく意味はあるかもしれないと思い、こうして記事にすることにしました。


7. おわりに

日常の中で外に出るということは、それだけでひとつのイベントになります。たとえ特別な体験がなかったとしても、自分の内側と外の世界の接点を持つことは意味があるのだと信じています。

気晴らしにはなりきれなかった今回の神戸行きでしたが、それでも少しは気分が動いた気がします。季節がまた変われば、見える景色もきっと違ってくるはずです。

この小さな外出の記録が、どこか誰かの気持ちにそっと触れるものであればうれしいです。


 



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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性。現在、自立支援医療や障害基礎年金2級、手帳2級の社会福祉制度を活用しながら自宅療養中。 2000年よりベンゾジアゼピン系薬(レキソタン、ロヒプノールなど)を服用。 2015年、40代前半に常用量依存と過労の影響で倒れたことを機に、自宅での療養生活を開始。当時服用していたベンゾジアゼピン系薬の有害性に気づき、断薬を決意。 2019年7月3日にレキソタンを断薬。現在、断薬から5年が経過し、筋肉の回復をはじめ身体全体の健康を取り戻しつつあります。 療養生活を送りながら、社会復帰を目指して日々前向きに過ごしています。