毎年8月ごろになると痩せが進行します。今年も胸回りの痩せが進行し先行きが不安です。
「ベンゾジアゼピン薬害である」との主張はヘルパーさんや看護師さん達には理解されつつあるものの
60歳代の相談支援専門員のEさんには理解されません。ケアマネの理解がこれでは思いやられます。
モニタリングの時も「それ(筋萎縮)は医者か看護師が認めたの?」
「萎縮なのか?筋肉の減少なのか?」などと
問われる始末です。
西洋医学を批判するわたしの言葉には「医療不信」の一言で片づけられます。
こちらは2015年~2016年のセルシン断薬後から2年経過の2018年現在、
筋肉の委縮が進行しています。
今はレキソタンで苦痛を
抑えるものの夏場には萎縮が進行する過去の経験通り生じています。
体の各部位に異変を感じているのです。
これらはすべて気のせいでしょうか?短期間にシャツがブカブカになるでしょうか?
外科に行って治るでしょうか?仮
に病院にいくとしても
神経内科の領域です。よくて「ALS」の診断をもらうのが関の山でしょう。
ベンゾジゼピンの因果関係は立証できません。
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筋萎縮の恐怖にかられながら相談支援専門員のEさんの理解がとりつけられない。
少し腹立たしいです。なぜなら苦しさの中の主張ですから。
治ることに期待しても無駄です。いかに理解され日々を過ごすかが重要なのです。
それには決して妥協してはならなりません。
しかし主張を通すにも力が必要です。
分からない人は放置して、理解できるヘルパーさんや看護師さんとの
共同体制を取り実質私がすべての主導権を握ればいいという考えにシフトしています。
福祉ケア体制においては薬害は理解されないので、自説を訴える一方で
ある種の「政治」を行わなければなりません。
福祉は受け身の甘えではいけないのです。こうした厳しい現実を筋肉が萎縮するなかで
思い知らされました。
今の状況
あまりにも残酷な運命です。心の持ち方が悪かったからでしょうか?
妙な精神論や宗教的観念論がこの状況において排除すべきものだと感じつつあります。
医療信仰 科学を装った利権産業がつくりだした観念論も打破しなければなりません。
医療信仰を盾にメシを食っている相談支援専門員という職業人には難しいことですがここが第一関門になるのです。
福祉にまで医療信仰、医療利権が及ぶと障害者は為す術もありません。
現場のヘルパーさんと看護師さんの理解を通して相談支援専門員のEさんを説得するしかないようです。
相談支援専門員のEさんとは6か月に一度しかあわない相手でそれほど神経質になる必要はありませんが、
こうした「根回し」が今の私に必要になってきました。
筋萎縮の恐怖の中、怖いことです。しかし昨年も恐怖のなかにいました。それでも今なんとか生きています。
何らかの生命維持が働くようです。この力が来年移行も働き続けることを祈るばかりです。
その間のレキソタンの量をどうするか?です。
現在5mg~10mgでステイ。
2錠の10mgに増やし続けるか? 筋委縮の症状をみながら考えていかねばなりません。
筋萎縮にしろ、相談員との人間関係にしろ、レキソタンの服用量にしろ、
どれも答えはありません。
もう何も信用できず、レキソタンを増量してただ目前の症状を鎮めることを考えるのです。
それがきわめて危険な投薬であろうとも今は仕方ない状況なのです。
勇ましいことをいって断薬するにはあまりにも無謀なリスクの高いクスリに手を出してしまった代償です。
それも今はもう「レキソタンをのんでQOLを上げ以って自然治癒力を高める」という精神科医に有利な
理論で正当化して服用するしかないのです。
食べる、眠るといった生活の質が著しく低下しているからです。
これを改善しなけば苦しみながら筋委縮の進行に悩むだけなのです。
「思い切ってクスリを飲んで改善。明日から」と思いながら5mgのステイかたようやく10mgに増量です。
一歩前進したばかりですが、どこかで5mgに減るだろうという予測があります。
10mgのんで調子がいいのなら、
断薬も考えなずに服用したほうが総じて心身に良いのかもしれません。
迷いながらの10mg増量です。
無理な減薬を後悔しています。
ベンゾに対する恐怖心を煽りすぎなのではないでしょうか?
一説によると製薬会社が煽って減断薬させてデータを取材しているらしいです。
今はただ
空しさが残ります。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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