萎縮

寒くなると体が強張り萎縮します。

多くの普通の人もそうだと言いますが、ベンゾ離脱による筋硬直、
筋肉萎縮の慢性症状を患っている者にとって
冬はとても厳しい季節です。

筋肉が薄くなり横隔膜のコワバリが強くなりますから風呂やシャワーの回数が
極端に多くなり、今年も入浴多数の日が多いです。

当然ガス代、水道代が暖かい季節に比べて多くなります。
ガス代だけでも8800円、水道代2万前後。

通常の倍以上です。ただでさえ経済的貧苦に陥る中でこの出費は痛いです。
今は光熱費は支払っていません。実質生活保護の状態ですが、
いずれ自分で払わなければならない。

毒親と言いながらもまだ光熱費の支払いを続けてくれる老親に何とも
言えない複雑な気持ちがあります。

私の体の状態を伝えても聞いてくれません。冬場に高くなる光熱費の
異変だけは気づかれています。

自分の金ならまだしも老親の金でベンゾ離脱の筋委縮と寒さをしのぐ日々は
年末年始という暦の変わり目に特に強く意識させられます。

せめて柔軟な体さえあれば、と夢想します。

肩こりから飲み始めたベンゾジアゼピン=レキソタン(又はセルシン)
がこれほど破壊的で本末転倒な作用を
もたらすとは知らず長年依存しました。

奇妙な言動でチャンスを失い続け、さらに体がボロボロになり、
茫然自失となります。

それに冬の寒さによる入浴回数の増加で経済的にさらに老親に負担を
与えている自らの愚。

もう社会的に不要な存在です。

それでも福祉に頼る・・・本来の自分の志とはかけ離れ過ぎです。
福祉は権利の行使に違いありませんが、
理解されないことが多くこれも自らの身をより萎縮させるのです。

心身共に萎縮しています。ベンゾは本来は筋弛緩をもたらすもの
が反作用で肉体的、社会的、経済的に
萎縮させるのです。

悪魔の薬としか言いようがりません。「このようなクスリになぜ手を出したのか?」
悔やまれます。

社会的に葬るクスリなのです。精神科で出されるクスリはのんではいけないのです。

治療などありません。

断薬して心身の再生をはからなければならないクスリなのです。
まだこうしたことに気づいているだけマシなのかもしれませんが、前途は多難です。

上手く脱出できればいいのですが、あまりにも年を取りすぎました。

寒さの中でより身に染みるのです。

ネガティブな思考の無限ループです。どこかで断ち切らなければなりませんが、
臭いものに蓋をしてもダメです。
過去に向き合い反省すべきは反省しなければなりません。

親のせい、社会のせい、クスリのせい、外部を責めてばかりもダメです。
仮にそうだとしても、外部に責任を求め続けるのはあまり好ましくありません。

これは説法ではなく経験です。

若い時人のせいばかりにして大局と本質を見失い続けたからです。

そのくせ本当の成功を自ら否定するおかしなことをしていました。
これは社会や人間への愛を無くしていたからです。

外部を責め続けることは良い面への愛も喪することにつながります。

それは不健康です。
薬害は否定しなければなりませんが、どこかで折り合い 妥協することも
大切です。

これができない人達(=私)発達障害といいのでしょうか。
子供でも構いませんが、どこかで妥協する知恵も持たねば世の中を渡っていけません。
当然自分の心も極端に閉ざしたままです。

どこかで自分と折り合い社会を受け入れていかねばならないと
寒さと病気の中、秘かに誓うのです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

<スポンサーリンク>




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

ABOUTこの記事をかいた人

50代男性 2015年(40代の前半)に過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 体力の回復で何とかなると楽観 気楽にいきましょう