【ベンゾ離脱回想録】レキソタンをはじめて飲んだ頃

レキソタンをのんだきっかけは肩こりの治療のためです。ベンゾには筋弛緩作用があると知り、それなら長年悩んでいた慢性的な肩や首のコリが良くなると思い2000年6月、30歳になる直前に心療内科を受診しました。
「ベンゾジアゼピン」という単語を知っていて自分からベンゾを希望したものだから精神科医から少し変わったやつだと思われた感じでした。
あとは不眠症でもあったのでベンゾ系のロヒプノールを処方されました。薬に少し違和感を持ちながらも大きな製薬企業がつくる薬で医者が出すのだから間違いないと信じていました。
レキソタン2mgをのむとすぐに気分がぱっと晴れて楽になった気がしました。初めて飲んだのは6月の梅雨の時期。毎年陰鬱になる季節がレキソタンをのむと静かで落ち着いた感じがして救われた気分でした。しかしここで気づくべきでした。薬で気分が変わるというのは普通におかしい、単なる麻薬だということを・・自分の気分や性格が変わる薬など自然の摂理からかけ離れた人体に有害なものだということを・・肩こりも良くなるどころか左の肩甲骨が余計に強張りました。それでも何らかの好転反応だろうと肯定的にとらえ薬を増量して飲み続けました。数ヵ月でのむのをやめるつもりが薬が無いと落ち着かなくなりだんだんイライラして大声で怒鳴ることも多くなりました。さすがにこれは薬のせいだろうと思いましたが、医者が出す薬だから薬そのものには問題が無く、たまたま何かの間違いでそうなったのだろうと薬そのものを疑うことをやめました。
薬を飲んで現実から逃避したいという願望もこうした薬をのむことをやめない動機となっていました。それに当時30歳で何とかしたいという「焦り」もありました。当時親と住んでいましたが薬のことは注意されることなく周りからはまったくストップがかからない状態でした。
2001年にインターネットをはじめて薬のことを調べましたが、今みたいにベンゾ離脱症状や断薬の情報などまったくなく、製薬会社や薬剤師のカタログスペック情報しか見当たりませんでした。結局自分の感性だけが頼りだったのです。
肩甲骨がこわばる、怒りっぽくなる、不眠は治るどころかより悪化。これだけでもベンゾをすぐにやめるべきだったのです。
「何事も継続」と言われますが、ベンゾなど薬に関しては長々と飲むものではありません。そんな薬はいらないのです。「薬が必要」と言っているのは患者を薬漬けにして儲けたいという「ヤクの売人」と考えてちょうどいいくらいです



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50代男性 私大経済学部卒業  若いころから病気がち アルバイトや自営の仕事を転々とする 現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度利用者 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と 過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 薬害を受けてもないことにされるという資本主義社会の 矛盾に気づき社会福祉を受けることでマルクスの資本主義分析に共鳴