腰痛は突然ではなかった──通院疲労・冷え・無理が重なり身体が発した警告

11月19日から始まった腰痛──見逃していた負担の蓄積

今回の腰痛は突然の出来事のようで、実はその兆候はすでに前日からあったのだと思います。
11月18日、通院日でした。

自転車で片道約20分。
行きしなに郵便局と銀行のATMに立ち寄って手続きを済ませ、そこから病院へ。
病院に到着後の待ち時間は10分程度、診察自体は40秒ほどの内容。
そのままスーパーに立ち寄って買い物をして帰宅しました。

一見すると大したことのない外出のようですが、今振り返るとこの通院行程が自分にはかなりの負担になっていたのでしょう。
その翌日の11月19日、右下の腰に違和感がはっきりと表れました。

「少し変だな」程度に受け止め、放置してしまったことが後に響きました。
働けないほどの痛みではなく、むしろ“動けてしまう”からこそ油断したのだと思います。


刺すような痛みに変わったのは20日

いつもの感覚であれば、違和感は数日で自然に消えるはずだと考え、
19日は家事もトレーニングもいつもどおりこなしました。

しかし翌20日、起床した瞬間に腰を鋭い痛みが突き刺しました。
思わず声が出るほどの痛みで、“ただの違和感ではない”ことを即座に理解しました。

急ぎぶら下がり健康器で腰を伸ばし、ロキソニンの塗り薬を患部に塗布。
一時的に楽になる瞬間はあっても、改善に向かう感覚はありませんでした。


鍼灸での施術、それでも治まりきらなかった痛み

訪問の鍼灸師さんに連絡し、夕方に施術を受けました。
施術後は身体が温まり、筋肉の緊張が少し緩んだような感覚もありました。

「このまま回復していくだろう」と期待して眠りましたが、
翌21日も痛みはほとんど変わらず、刺すような痛みが続きました。

腰に負担のかかるスクワットと前屈ストレッチは完全に中止。
それでも、動ける範囲で
・家事
・英語学習
は継続しました。

ただ、体が疲れたような感覚があり、横になって休む時間も自然と増えました。
身体が強制的に休息を求めていたのだと思います。


原因は冷えと疲労、そして「自分の限界を過信していたこと」

今回の腰痛の原因として、ほぼ確実に言えるのは次の3つです。

  1. 18日の通院による負荷の蓄積
     自転車、用事の立ち寄り、買い物。
     元気な時なら軽い行程でも、今の身体には十分すぎる負担だった。

  2. 季節の急な冷え込み
     身体が寒さに適応しきれず、弱っている右半身に負荷が集中した可能性。

  3. 「違和感の段階で休まなかった」こと
     動けるからといって無理を続けたことが悪化を招いた。

冷えは本当に侮れません。
筋肉が固まり、血流が落ち、疲労を倍にして戻ってくる。
今回それを強烈に実感しました。


焦らず、体の声を聞きながら回復へ

11月22日も腰痛を抱えたままでしたが、症状は悪化はせず、粘り強く耐える期間でした。
そして今日11月23日。
まだ痛みは残るものの、体力が少し回復してきた感覚があります。

「たとえ回復に時間がかかっても、体を壊すような無理はしない」
今の自分には、これが最も重要です。

今後しばらくの方針は次の通りです。

✔ トレーニングは痛みが完全に改善してから
✔ 冷え対策を徹底する(防寒・保温)
✔ 疲労の蓄積を感じたらその日のうちに休む
✔ 体調の“違和感”を見逃さない
✔ 回復後に急に運動量を戻さない

健康の土台は食事だけではなく、
休息や気温への配慮も同じくらい大切だと改めて学びました。


おわりに

腰痛は苦しいものですが、ただ不幸な出来事として終わらせるつもりはありません。
身体が示すサインを受け取り、次に活かすことができれば、それは経験になります。

今回得た教訓は、ひと言でまとめればこうです。

元気なつもりでも、身体は想像以上にデリケート。
調子がいい時こそ、丁寧に扱ってあげる。

これからも無理はせず、体の声を聞きながら過ごしていきます。

 



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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性。現在、自立支援医療や障害基礎年金2級、手帳2級の社会福祉制度を活用しながら自宅療養中。 2000年よりベンゾジアゼピン系薬(レキソタン、ロヒプノールなど)を服用。 2015年、40代前半に常用量依存と過労の影響で倒れたことを機に、自宅での療養生活を開始。当時服用していたベンゾジアゼピン系薬の有害性に気づき、断薬を決意。 2019年7月3日にレキソタンを断薬。現在、断薬から5年が経過し、筋肉の回復をはじめ身体全体の健康を取り戻しつつあります。 療養生活を送りながら、社会復帰を目指して日々前向きに過ごしています。