ベンゾ常容量離脱  2015年秋冬の回想 (年数訂正版

2015年の秋から冬にかけては地獄でした
胃痛、痩せ、全身の筋硬直と皮膚異常
そして体が冷え切っているので気温が下がる冬は生きた心地がしませんでした

何度も風呂に入って体温を上げなければ体が冷え切ってしまうので
命の危険すら感じました

入浴が体力的に無理ならシャワーだけでも浴びる

風呂かシャワーだけでも1日に10回以上 水道代が月に2万くらいかかり
水道メーターが異常な数値を出し管理組合の人から注意を受けたことがあります

それだけ入浴かシャワーでお湯を浴びて体温をあげようとしていたのです

食べても太らない、体がすぐに冷える

体力はどんどん低下  ネット上の薬の危険情報でベンゾを再服用するにも
ベンゾが怖くてできず八方ふさがりでした

精神的にも追い詰めれ地上波がかろうじて映るテレビを24時間つけて
精神の安定を保っていました

このテレビの音でも近所から苦情を言われたことがあります

呼吸が浅くなり生きているのがやっとでした

当時40代 まだ若く体力があったのが救いでした

肉体が極端に弱っている状態で親や弟から見限られ孤独に痛みと寒さに耐えました

ゴキブリが増えカサカサ動く音や水を飲む音まで聴こえ「自分はもう死ぬのか」と
何度も諦めかけました

それでも朝が来て少しでも何か飲んだり食べると気力がわいてきてその日を病床で
やり過ごしました

グルグル思考でノートや日記帳に真っ黒になるまで書きなぐりました
ちょうど覚せい剤中毒者が禁断症状から壁やカーテンをボロボロにする錯乱状態と同じ状態です

自分の場合は器物ではなくノートという紙媒体だったのがせめてもの救いでした

年が明け2016年になっても
食欲が無い、食べても吐く、水さえも吐いてしまうほど衰弱
今から考えてどうやって生き延びたのか不思議です

最低限の飲食で風呂以外はほとんど布団で寝て体力を温存したのが
良かったのだと思います

精神的にはTwitterや当時自分の苦しみを書いていたライブドアブログ
で話しかけてくれた人たちの存在で精神を保てました

本当に毎日死を思い過ごしていました

あまりに苦しいので正月頃に救急車を呼び運ばれた大学病院で点滴を受けました

内科医の軽い診察を受け抗精神病薬(名称は失念)を処方されそれとは知らずにのみました
わずか数日分です
それで食欲が出たので生き返った気分になったのを覚えています

ベンゾはかたくなに拒否していましたが
せめてベンゾを再服用すれば苦しみが少なかったと後悔しています



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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性 私大経済学部卒業  若いころから病気がち アルバイトや自営の仕事を転々とする 現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度利用者 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と 過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 薬害を受けてもないことにされるという資本主義社会の 矛盾に気づき社会福祉を受けることでマルクスの資本主義分析に共鳴