北近畿4日目の朝
これを書いているのは、5月23日(木曜)午前7時過ぎ。帰省中の北近畿の郷里の4日目の朝
久々に2階の部屋で過ごしています。窓から眺めると晴天。強くまぶしい日の光が部屋に差し込んできます。
朝晩は冷え込み少し寒いくらいです。田舎の空気は澄み渡り鳥の鳴き声が聞こえています。
自然環境はとてもいい。ベンゾ離脱にはもってこいの環境です。
とはいえ、それは自然環境に限ったことで家庭内の人間関係トラブル、近隣との人間関係とトラブルがストレスになります。
のどかな田舎の中にも都会の変わらない争いが耐えません。
特に老老介護で疲弊した母はアル中のようになり言葉がきつくなりました。
それで時折私と口論になった母は父に叱られています。
私が母に「頼むから穏やかに話してくれ」と頼んでも
「自分は介護をやっている。お前たちには出来ない、やっていないものは何も言うな」といわんばかりの
態度をとります。確かに介護は大変です。はたから見ているだけす。
母は、老人(90代祖母)のオシメを朝昼晩変ええる。
休めるのは週に3回は祖母をデイサービスの日です。しかしそれには車椅子で車まで運ぶ送迎作業があります。
父と母との共同作業ですが、その父も「俺が家事も介護もやっている。農業も自治会もや
っている。偉いんだ」と必要以上に威張り散らします。
しかしはたから見ると農業は別として、うちの祖母の介護はそれほど大変ではありません。
祖母は意識ははっきりしており電話の受け答えも出来る。孫の名前も認識している。
頭はしっかりしているのです。徘徊や暴言、暴力もありません。
ようは下の世話だけなのです。
これはヘルパーに頼めばいいこと。それを「他人に入ってきてほしくない、自分のペースでやりたい」
などと母はわがままをいいヘルパー支援を断ります。
ヘルパーに頼まず自ら疲れる作業をしてストレスをためては息子に八つ当たり、
祖母に暴言を投げかける母。
そのくせ「私が倒れれば」と脅すようなことを言う。
今も言っています。私にとって、母はそんなことを言う労力があるくらいなら別のことにエネルギーを使えばいい。
「ヘルパーにオシメ交換だけでも頼めばいいのに」と考えざるを得ません。
明らかに合理的に楽に出来る仕組みと制度があるのにそれをせず自ら苦労を背負い
それをPRする父と母。
この姿はまるで仕事の出来ないサラリーマンが意味の無い仕事をやって
「自分はこれだけ苦労しているんだ」とPRする姿と同じです。
リストラされないよう自分の苦労を作り出してPRする。「マゾ」そのものです。
そのくせ自分より立場の弱い90代の祖母や障害のある私にはきつく当たる。
話してもラチガあかず、キリがありません。
「いったいどうしてほしいのか?」何を望んでいるのか?わかりません。
母に「何が望みなのか?」とい直接尋ねると一瞬ギクリとした表情をします。
母の本音は年老いて動けない祖母の現実を認めたくないのです。
母は祖母に対して「自分でやれ自分でやれ」「みっともない」
「隣の○○さんは90代でも一人で暮らし畑をしている」と暴言と小言を言い続けています。
現実を認めたくない母の本音を物語っています。
時折気の狂ったようなヒステリーを母は起こします。
これは祖母に対する言葉による虐待、心理的虐待です。
案外娘はその母に対して冷酷なんだと思いました。
母は生前の祖父にも暴言を投げかけていました。
「介護が人を鬼にしている」という側面が大きな原因のひとつですが、
私の両親の場合、自分のわがままで弱い立場の年老いた祖母を虐待しているようにしか思えません。
人の助けが必要なときは、福祉に素直に頼む。
福祉には確かに問題があります。これは障害者の私もよく知っていること。
それでも福祉を利用するほうが楽になるはずです。
少なくとも肉体的、時間的には楽になるのです。
母の祖母への暴言は私の起居している2階まで聞こえます。
自然環境の良さとは正反対に介護の両親の心はすさんでいます。
どこか知恵が足りない、道義心も足りない、
ただ自分の立場の強さを利用して弱者に不当な説教をしている。
団塊世代全体に昔から見られる構図です。本質は何も変わっていません。
そして子供に八つ当たり、虐待、そして今度は年老いた祖父母を虐待する。
いじめが多くなったころの80年代に30代だった団塊世代。2019年の今も何も変わっていません。
そのくせ強い人にはこびへつらう。
団塊世代、すなわち戦後日本人の幼稚と未熟が介護の現場に現れているのです。
私は帰省してすぐに祖父の仏壇の前にお供えをし合掌しました。
義務を果たしました。
両親から真に自立したい、貯金と年金で根源的に両親から逃げたいです。
朝からわめき声が聞こえます。毎日です。今の貯金の金額は
20代で既に貯めて持っていました。
年金の6万6千円などバイト代です。
4年ぶりの帰省で介護疲れの両親を労いたい気持ちはありますが、北近畿の郷里はあまりにも殺伐とし過ぎです。
今は障害でこうした両親と関わらなければなりません。
本当に20代に親元から離れておくべきでした。
最後までお読みいただきありがとうございます。
本稿は2019/05/23 午前7:36 に執筆したものを6月2日と3日に加筆修正しました。
6月現在、漢方内科クリニックに通院。生薬をのみ気力と体力が回復しました。
漢方については近日中に記事にまとめます。
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