レキソタン断薬 日常の記録

全身の痛み

体中が痛みます。全身のこわばりと痛みを布団なのかで耐えています。
ヘルパーの訪問ありました。症状を話すと全身の痩せの具合から
他覚的に分かってもらいました。

暖かい日でしたが、どこか気持ちの悪い暖かさでした。
食事をとるとむせるようになりました。

もうタイプ入力がとても違和感あります。
それでも今は何とかまだ打ち込むことができています。

ヘルパーさんには全て話しています。脳神経の話もしています。
とても親切で気さくな女性で自分のこれまでの人間観、人生観を変えてくれる力を持った方です。

素晴らしい方がおられるのに自分はひねくれ過ぎて生きてきたのがわかり慙愧の念に耐えません。

障害年金受給のことも喜んでくれました。
本当に苦楽をともにしています。

現実ではヘルパー、ネットでも支えてくれる人がいて感謝の念に耐えません(この場でお許しください)

罪多き人生、過ちを倒れてから痛みの中で思い知らされます。

もう何度も反省したことを再び反省しています。

「死ぬ前ってこんなのだろうか?」自問自答します。

あまりに悔しくて悲しい人生、せめて最後はきれいに死にたい」そんな考えが浮かびます。

もう一で「「お願ですから生かせてください」と懇願する気持ちも。

整理がつきません。

いえつかせてはならないのでしょう。

自分自身どうしていいかわからなくなります。
ただ向精神薬をやめたことに自分を見出しています。
ともに分かち合ってくれるヘルパーさんもいます。

正直もうダメなんだと思います。過去の光景が次々と甦ります。

悔い多い人生、あれもこれも甦ります。

20代 30代の自分がいかに恵まれわがままだったかわかります。

そのくせ遊びを知らない。遊びを悪とみていた奇妙な価値観があったのかもしれませんが、

人生を楽しんでいない。息を抜いていない。

根本的な人生観、人間観を間違っていたようです。

障害福祉サービスを受けて「、自分が本当の意味で障害のある人間なんだ」と思わされてます。

こんな自分でも受け入れてくれるヘルパーさんに感謝。

「失礼なことを言っていないか?」」気遣うこともあります。

強欲で人を信じなかった自分がウソのようです。
今ほど人を受け入れ交流していたなら、
薬物に依存することはなかったでしょう。

クスリさえ飲まなければこんなことにならなかったのです。

今はただ悔しさと悲しさがあります。

食事は1~2回。それもむせて食べれなくなりました。

胃の不調というより、空腹中枢、食欲中枢だと思います。

いつまでこの症状が続くのか

悔いおおいです。
障害年金の手続きと権利取得で自分だけでなく、家族の負担が当面減りました。

これをもう少し早くやれば良かったのです。

「どうしていつも自分は判断を間違うのか?」これも自問自答です。
せっかくの春なのに悲しみだけが残ります。

「ノドの違和感」
ノドは粘膜系統だそうです。
「栄養失調 ノド」で検索すると粘膜系統だとわかりました。

ベンゾジアゼピンは粘膜 免疫系統にくるので、
やはり薬物が原因だと思います。
体にこわばりからく痛みがあります。

断薬で筋肉がものすごく減りました。

食べても身につかず。
外に出歩くこと実質不可能。

ヘルパーさんに付き添い頼みました。
それでも出歩けるか不安です。

もう家の中でも辛いです。筋肉が減り支点を失った体でフラフラします。

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性 2015年(40代の前半)に過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 体力の回復で何とかなると楽観 気楽にいきましょう